北アルプスの表銀座コースを縦走してきました。
今回の目的は北鎌尾根からの槍ヶ岳登頂でしたが、雨のため一般コースの東鎌尾根に変更したものです。
6人だった5年前は貧乏沢を下った天上沢の北鎌沢出合でビバークしましたが、今回は大天井ヒュッテに泊まる計画としました。
メンバーの力量を考えると、10時間から12時間行動で槍に立てるからです。
ところが残念ながら11日だけ雨となり、7度目の北鎌尾根は来年におあずけとなりました。
雨の北鎌は危険なだけでなく、展望を楽しみながら槍の穂先に近づきたいルートです。
9月9日(日) 天候:曇り時々晴れ
中房温泉8:40・・・9:15第一ベンチ・・・9:45第二ベンチ・・・10:20第三ベンチ・・・11:05富士見ベンチ・・・11:40合戦小屋12:15・・・13:15燕山荘13:35・・・14:00燕岳・・・14:20北燕岳・・・14:55燕山荘(泊)
北アルプス三大急登に数えられる合戦尾根。
30分登ればベンチがあり、スイカで知られる合戦小屋。
今回は強力メンバーとはいえ全員60代。
明後日11日の北鎌尾根に向けて体力温存作戦。
今日は燕山荘、明日は大天井ヒュッテに泊まるというリッチぶり。
ウメバチソウやオヤマリンドウを見るようになれば燕山荘に着く。
燕岳
イルカ岩
コマクサがまだ咲いている
北燕岳
オオバキスミレ
北燕岳山頂
山荘の喫茶室で山の話に盛り上がります
夕食が終わるとガスが晴れ、槍ヶ岳が姿を見せました。
9月10日(月) 天候:曇り時々晴れ
燕山荘6:35・・・7:05蛙岩・・・8:10為右衛門吊岩・・・9:15切通岩・・・9:50大天荘10:00・・・10:10大天井岳10:20・・・10:25大天荘・・・11:00大天井ヒュッテ(泊)
富士山の右三角は南アルプスの甲斐駒ヶ岳
日の出を待つ人たち
槍穂高連峰と大天井岳(左)
蛙岩
槍の穂先はガスの中にあり、北鎌尾根の独標が見えている。
やがてガスが晴れる
切通岩を通過する
大天井岳から槍ヶ岳への道を喜作新道と呼び、小林喜作(1875~1923)がほとんど独力で足かけ3年を要して開削した。
切通岩にある喜作のレリーフ
大天井岳からの槍ヶ岳は雲に覆われている
鷲羽岳(中央) 三俣蓮華岳(左) 水晶岳(右)
大天井ヒュッテへ下って行くと槍穂高の展望が広がりだす
大天井ヒュッテ
ここにもコマクサが
到着祝いじゃ~!
昼食のカレーと焼きソバ
夕食のトンカツ
今年始めたカクテル
弱い前線が通過する今日は雨で、明日は晴れるとの予報を信じて入山した我々。
ところが最近の予報は大きく外れていて、最終決定は明日朝5時とする。
9月11日(火) 天候:曇り時々雨
大天井ヒュッテ5:20・・・5:45ビックリ平・・・7:20ヒュッテ西岳7:45・・・8:35水俣乗越8:45・・・10:30ヒュッテ大槍10:55・・・11:40槍ヶ岳山荘(泊)
起きると星はない。
すでに北陸では雨が降っていて、午前中に前線が通過する。
北鎌行は中止だ。
また来ればいい。
貧乏沢の下降点でパラパラ降りだすと諦めもついた。
ビックリ平
中央の雪渓があるのが北鎌沢左俣 北鎌尾根へはその右の右俣を登る。
天狗の腰掛と独標は見えている。
P2643からの北鎌尾根
赤岩岳付近では北鎌尾根はガスに隠れ、ヒュッテ西岳に着くなり本格的に降りだす。
ハシゴの多い水俣乗越への下り。
19歳の春4月、急なルンゼ状の下りが悪かったことを憶えている。
東鎌尾根を登るころは降ったり止んだりを繰り返し、岩場を水が流れる時間雨量5ミリとなる。
この先は急な下りの階段が二段あり、見えている尾根は積雪期には雪稜となる。
アカモノ
ヒュッテ大槍に入りコーヒーで一息つき、外に出るとガスの中に大槍が見え隠れする。
岩稜を外れると大槍下のトラバースとなる
槍ヶ岳山荘からの槍穂先
草紅葉が始まった槍沢
東鎌尾根を西岳へ向かう途中で滑落骨折事故があり、歩けない単独負傷者がガスの切れ間からヘリで救出された。
宿泊者は80人ぐらいと少なくて、時間を気にせず赤ワインとビールでゆっくり夕食を味わいました。
9月12日(水) 天候:晴れ
槍ヶ岳山荘5:50・・・6:05槍ヶ岳6:20・・・6:35槍ヶ岳山荘6:50・・・7:00飛騨乗越・・・8:20千丈沢乗越分岐・・・9:15槍平小屋9:40・・・10:15滝谷出合10:20・・・11:20白出沢・・・12:15穂高平・・・13:15新穂高温泉
槍穂先
最後の長い鉄バシゴを登れば山頂
穂高岳方面と右奥に乗鞍岳と御嶽山
北鎌尾根
次回は北鎌から登ってくるぞ~!
ブロッケン現象
さらば槍よ
飛騨沢を下ると見える黒いシルエットは、左から南岳~中岳~大喰岳~槍ヶ岳。
飛騨沢は野イチゴ食べ放題
若かったころを回想させるのは槍平から見る北穂滝谷やドーム、厳冬期に登った涸沢岳北西尾根など。
来年の北鎌行を胸に山を下りました。