2010.1.9山スキー風呂塔   

2010年 01月 09日

今日はプライベートで風呂塔へ行ってきました。
「山を歩いてきました」ではなく「山を滑ってきました」です。
山スキーとはなんぞや?という方もいらっしゃると思いますので・・・

三加茂のコンビニで昼ご飯を買おうとすると財布を忘れていた。
今日は絶食登山を覚悟する。

まずスキーの滑走面にシールを付ける。
シールには特殊な糊がついているので簡単に張り付けられる。
シールは前には滑るが後ろには滑らないので、15~20度の斜面まで登れる。
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山スキー用の靴をビンディングにセットする。
これは普通のスキーと同じ。
ビンディングは高いシェアを誇る「フリッチ/ディアミール」。
歩きや登りはフリーにして踵を上げて進む。
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桟敷峠からはキャンプ場へ向う。
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スキーでも10センチ沈むのだから靴のみだと膝まで潜るだろう。
スキーは登山靴で歩く調子ではなく、踵が上がるから前に滑らせる。
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大きな動物の足跡はカモシカだろうか。
「変なヤツがきた」とどこかで見ているかも。
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日の当たるところで休憩・・・いい天気だ。
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キャンプ場まで1.6kmの標識を右に入る。
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霧氷をつけた火打山が見える。
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キャンプ場の積雪は50センチを超えている。
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ここでビンディングのヒールを上げる。
ヒールの高さは3段階になっていて、斜度に合わせてこまめに高さを調整する。
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植林帯から自然林になると積雪が増す。
ラッセルと言っていいくらいになってきた。
真っ直ぐ登れないときはターンを繰り返す。
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目の前に青空が広がると山頂に到着。
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石堂山と矢筈山
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さあ下りだ~滑れる♪ 
しかしゲレンデのようにガンガン滑れるわけではない。
安全第一、怪我でもしようものなら大変。
シールをはがし、フリーだったビンディングを固定する。
雪質は最高といってもいいくらいフカフカで滑りやすい。

シュプールです。
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えっ ヘタクソ? スキーヤーではありません 山屋ですから

あっと言う間に休憩所。
風もなく太陽を浴びながらコーヒータイム。
雨蓋の中からソイジョイが1個見つかった・・・嬉しかった。
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ちょうどいい傾斜の林間を滑っていく。
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林道も快適に滑ったが、桟敷峠からは轍があったので飛ぶようだった。

天候:晴れ
広場930m10:10・・・10:30桟敷峠・・・11:10六地蔵分岐・・・12:00キャンプ場・・・12:55風呂塔13:10・・・13:20休憩所13:40・・・14:05六地蔵分岐・・・14:15桟敷峠・・・14:20広場930m

# by nakatuminesan | 2010-01-09 18:31 | 山を歩いてきました | Comments(2)

計画の延期   

2010年 01月 09日

1月7日の「三頭越~阿波竜王山」と9日の「中尾山~赤帽子山」は、どちらも参加者が少なく延期させていただきました。
「中尾山~赤帽子山」をご希望の方は11日の「天狗塚」に参加されます。

# by nakatuminesan | 2010-01-09 17:08 | Comments(0)

菊地俊朗著「栄光への挑戦」   

2010年 01月 08日

1950年6月、フランス隊によってアンナプルナI峰(8091m)が登られた。
14座ある8000m峰への初登頂であった。
アンナプルナI峰の次は1953年5月、第九次イギリス隊がエベレストをものにした。
1960年5月のスイス隊によるウラギリI峰(8167m)までヒマラヤの8000m峰が次々と登られる時代があった。
1956年5月の第三次日本山岳会隊によるマナスル(8163m)登頂いらい、日本から毎年多くの遠征隊がヒマラヤを目指した。
日本人が初登頂をかざった7000m峰は20座以上に達していた。
だが大部分の遠征は技術的にもマナスルを超えるものはないと言われていた。
「栄光への挑戦」は1964年長野県岳連隊によるギャチュン・カン登頂記である。
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メンバー構成は隊員9名、報道関係2名。
ギャチュン・カンはエベレストの北西約25キロに位置し、ネパールとチベットの国境に聳える標高7952mの高峰である。
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当時、ギャチュン・カンに関して、エベレストを初登頂したヒラリーは「恐ろしい山」と評し、また多くのヒマラヤ経験をもつ者でさえ「あんな危険な山へは行く気がしない」と述べている。
あの深田久弥氏は「1964年のヒマラヤ登山で世界の岳人がもっとも注目する遠征になる」と高く評価している。
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しかし彼らは困難を乗り越え初登頂に成功した。
4月10日、7400mのC6を出発した2名の隊員と1名のシェルパが頂に立った。
ボンベの不調により無酸素での登頂だった。
標高を考えるとこの時期の登頂は異例に早い。
しかし登頂前日に1名が犠牲となっている。
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1965年2月の発行だから山を始めたころだった。
ヒマラヤは死を越えるものなんだという印象がした。
「わが青春はヒマラヤの頂」に次いで2冊目のヒマラヤに関する書物だった。

# by nakatuminesan | 2010-01-08 14:01 | | Comments(0)

2月の富士山   

2010年 01月 07日

大学1年のことです。
冬山合宿に続いて一緒に木曽駒ヶ岳に登り、八ヶ岳の天狗岳から赤岳、権現岳と縦走した同期の男は「2月の富士」をよく口にした。
2月の富士山はアイスバーンどころか油氷となり、最も厳しい時期だから登りたいと言っていた。
どうせ行くならと別の同期2人を誘った。
その2人は前年11月の富士山合宿でアイゼン歩行と滑落停止の経験はあった。
合宿最後には先輩たちにガードされて登頂もしていた。
しかし本格的冬山の経験はなかった。
「おう 俺たちがいっしょだから大丈夫だ!」ってなもんだったのだろう。
メンバーは1年生4人。
知れると止められるので先輩には内緒。
ところがどこから洩れたのか先輩の耳に入ってしまった。
話の分かる先輩というか、2月の富士に自分も登りたくなったのか一緒に行くことになった。
ルートは御殿場口だった。
1日目は合宿でいつも使う小屋で泊った。
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翌日は天候に恵まれ無事に登頂できた。
氷の鎧をまとった鳥居で万歳をしているのだからよほど嬉しかったようだ。
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八合目から上はテカテカのアイスバーンだった。
下山は慎重を期した。
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40年以上も前ですからウェアはナイロンのヤッケにオーバーズボン。
足元はオーバーシューズ。
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8本爪アイゼンにゴーグル姿です。
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2月上旬のことだったと記憶している。

# by nakatuminesan | 2010-01-07 17:46 | 昔むかし | Comments(0)

ヒマラヤ襞(ひだ)   

2010年 01月 07日

ヒマラヤのトレッキングや登山に行くとヒマラヤ襞を見る。
規則的な間隔で発達した雪や氷の「ひだ」を持つ峰はじつに美しい。
6000mを超える高峰にできるようだ。
高ければ必ずヒマラヤ襞ができるということでもない。
急峻な山肌に発達するようだ。
アンデスの高峰にも見られることから、その形成には雪と日射と風などが考えられるが、現地調査が困難なことから詳しいメカニズムについては解明されていない。

ヒマラヤ襞を見る機会があれば1日滞在することをお勧めします。
夜明けから日没まで見飽きることはありません。
すくない登山経験からカメラに収めた写真です。

チュクンからの無名峰6300~6400m
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チュクンからの無名峰6200m
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タムセルク6608m
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ツクチェピーク6920m
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マナスルノース7157m
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# by nakatuminesan | 2010-01-07 11:31 | ヒマラヤ | Comments(0)

加藤文太郎著「単独行」   

2010年 01月 06日

若いときから読書は苦手というか、あまり好まなかった。
だが山が始まってからは山に関する書物には関心を持つようになった。
もっともよく読んだ本といえば「単独行」かもしれない。
加藤文太郎「1905年(明治38年)3月11日~1936(昭和11年)1月5日」をまるで恋人のように慕ったものだから・・・
「単独行」は1966年11月二見書房の『The Mountains』8として、1949年1月に槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死した松濤明「1922年~1949年」の『風雪のビバーク』と合冊して刊行された。
この本は1969年1月の購入だから41年前になる。
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1930年代前半、高峰の冬期登山が一般的ではなかった時代にたったひとりで厳寒の北アルプスを駆け抜け、「不死身の加藤」の異名をとった加藤文太郎。
槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが猛吹雪に遭い天上沢で30歳の生涯を閉じた。
当時の新聞は彼の死を「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じた。
風雪の北鎌尾根に消えたその生涯は、山を始めた若者には強烈な刺激を与えた。
なかでも槍ヶ岳、薬師岳から烏帽子岳、剣岳、鹿島槍ヶ岳などの冬期単独登頂の記録は当時の装備を考えると信じられない。
3年前、扇ノ山の帰りに「加藤文太郎記念図書館」に立ち寄る機会があった。
加藤文太郎が使用した装備を目にしてその思いを強くした。
「新編単独行」が2000年4月、山と渓谷社から出版された。
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# by nakatuminesan | 2010-01-06 17:09 | | Comments(0)

2010.1.5笹ヶ峰   

2010年 01月 06日

高速から二ッ岳や東赤石山が見えるが上空は曇っている。
今日は冬型気圧配置のため降雪が心配だ。
林道はほとんど雪もなく安心して入れた。
沢筋は氷結している。
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宿から雪道となり、2、3日前のトレースがある。
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丸山荘から見上げる笹ヶ峰は霧氷に覆われていて、山頂はかなり寒そうである。
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ここでアイゼンを装着。
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シリセードパンツも披露する。
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すぐ上の広場からトレースは消えている。
霧氷が広がる笹斜面に出ると風に吹かれる。
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靴がかくれる程度でラッセルというほどではない。
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寒風山への分岐が近づくと風も強くなり風速10mぐらいだろうか。
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期待した山頂からの展望はないが冬山らしさを実感できる。
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下山は今シーズン初のシリセードでショートカット。
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広場まで下りると一瞬雲に切れ間が出るが山頂はガスのなかにあった。

天 候:曇り 山頂ガス
下津池登山口9:15・・・10:15宿・・・10:45丸山荘11:10・・・13:00笹ヶ峰13:15・・・14:10丸山荘14:45・・・15:05宿・・・15:55下津池登山口

# by nakatuminesan | 2010-01-06 10:07 | 山行報告(雪山) | Comments(2)