日本人初のヒマラヤ登頂   

2010年 07月 04日

1936(昭和11)年10月5日、立教大学山岳部隊がナンダ・コット6867m(ガルワール・ヒマラヤ)の頂に立ち、日本人初のヒマラヤ登頂を飾った。
隊長・堀田弥一に続き隊員の山県、湯浅、浜野、毎日新聞特派員の竹節、シェルパのアンツェリンら全員が登頂。
山頂には立教大学校旗、大阪毎日新聞社の社旗、日章旗が掲げられた。

右から湯浅、山県、浜野、アンツェリン、座っている堀田
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在学中から活躍めざましい堀田らは、ヒマラヤ研究会を定例化し、厳冬の後立山や槍穂高縦走の経験を積み重ねた。
当時は第二次世界大戦・太平洋戦争へ向かう軍事態勢の強化により登山界が低迷した時代。
そんななか登山界は欧州アルプスに目を向けはじめ、日本人では本格的にヒマラヤ登山を実施した例はなかった。
当時の情報や装備からして快挙であり、戦前唯一のヒマラヤ登頂記録である。

山頂直下
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ナンダ・コットの装備を見ると、今のスタイルよりも私が本格的冬山を始めた1967年時のほうが似ているような気がする。

立教隊がナンダ・コットを選んだ理由は、当時入山許可取得の見込みの高かったのがガルワール地方だったこと、同地方の最高峰ナンダ・デビィ7816mが初めてのヒマラヤ登山には荷が重かったことなどである。
ナンダ・コット選択は現実的な判断に基づいていた。

ナンダ・コット
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1936年の時代背景として浮かぶのは2.26事件、ベルリンオリンピックなど。
登山史としては1月、加藤文太郎と吉田登美久が槍ヶ岳・北鎌尾根で遭難死している。
またエベレスト(チョモランマ)への挑戦を続けるイギリスは第六次遠征隊を送った年でもあった。

# by nakatuminesan | 2010-07-04 17:40 | ヒマラヤ | Comments(0)

雪渓   

2010年 07月 03日

夏山シーズンが近いので雪渓の話題。
夏になっても融けないで雪が残っている谷のことであって、雪が残っている平坦な場所は雪田とか単に残雪と呼ぶ。

冬の間に降った大量の雪のみならず、両側の斜面や谷からの雪崩が堆積すると万年雪となって大雪渓を作り出す。
白馬岳、針ノ木岳、剱岳の大雪渓を日本三大雪渓という。
日本一のスケールを誇る白馬大雪渓は長さ2km、最大幅100m、標高差 700mに及ぶ。

白馬大雪渓上部
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杓子岳への縦走路から見下ろした白馬大雪渓
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夏とはいえガスや雨の日の雪渓上は寒く、視界がないだけに音もなく襲う落石には十分な注意が必要である。
雪渓上では原則として休憩はしない。
また雪渓にはクレバスやシュルンドと呼ぶ岩との隙間もあり、マーキングされたコースから外れることは危険。

クレバスとスプーンカットの雪渓の表面
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シュルンド
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針ノ木大雪渓では毎年6月の第一日曜日、日本初の登山案内人組合を創設し「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」と歌った歌人・百瀬慎太郎を偲び「針ノ木岳慎太郎祭」が行われる。

針ノ木大雪渓
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雪渓を登山ルートとする山は多い。
額に汗して樹林を抜け、冷涼な風が吹き渡る雪渓に立ったときの嬉しさは夏山だ。

剱沢大雪渓 前方の岩稜は八ツ峰
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# by nakatuminesan | 2010-07-03 09:17 | 山のあれこれ | Comments(0)

赤石岳3120m   

2010年 07月 01日

堂々とした山容を誇る赤石岳は南アルプスの雄である。
長野・静岡県境に位置し、もちろん日本百名山のひとつ。
高速中央道の恵那山トンネルを抜け、駒ヶ岳SAまでの車窓から望める。

標高3120mの主峰と、1kmほど北に標高3081mの小赤石岳がある。
南アルプスには日本第二の高峰・北岳があるが、南アルプスの盟主には赤石岳を挙げる人は多い。
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山頂東側斜面にある日本国内最南端の氷河の痕跡である2個のカールでは夏にはお花畑が広がる。
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深田久弥は、その著「日本百名山」の中で赤石岳を「私の記憶にあるあらゆる頂上のなかで、赤石岳のそれほど立派なものはない。それは実におおらかな風貌をそなえている。広々としているがただの緩慢ではなく、キリッとした緊まりがある。これほど寛容と威厳を兼ねそなえた頂上はほかにあるまい。」と述べている。

赤石岳だけでなく荒川三山(前岳、中岳、悪沢岳)と組み合わせた計画を立てる登山者が多く、椹島ロッジを基点に山中2泊で周回が可能である。
個人的には白峰三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)よりも気に入っているし、ライチョウをよく見かける点でも楽しいといえる。
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大学1年初冬、南アルプス南部縦走が初めての赤石岳だった。
1967.11小赤石岳
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それからなんと40年近くを経た秋、荒川三山と同時に登る機会があった。
標高こそ北岳や悪沢岳に一歩譲るが、小赤石岳を従えて堂々とした風格と威厳を持って荒川三山に対していた。
2006.10.8悪沢岳から見た赤石岳
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赤石岳から北方の眺め 手前・小赤石岳 中央右・悪沢岳 奥は間ノ岳と農鳥岳
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赤石小屋から朝焼けの赤石岳と小赤石岳
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椹島から畑薙第一ダムへのバスは右側に座ることをお薦めする。
なぜなら椹島を出てすぐ、赤石谷の奥に標高差2000mの赤石岳を望めるからだ。
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# by nakatuminesan | 2010-07-01 10:30 | 日本の山 | Comments(0)

ゴーヤ   

2010年 07月 01日

今年は種蒔きが遅くなったゴーヤ。
今朝になりやっと花が咲きました。
一昨年は豊作、昨年は不作でした。
今年はどれぐらいの実を付けるか楽しみです。
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# by nakatuminesan | 2010-07-01 09:10 | 四季 | Comments(0)

2010.6.30山犬嶽   

2010年 06月 30日

漢文年間(1660年)の七日七夜にわたる大雨で山頂が崩落し、山麓の集落を埋め尽くしたと伝えられる山犬嶽。
崩落前の頂上が山犬が口を開いたような形だったことが山名の由来らしい。

ハイキングコースをしばらく進むと、きれいに枝打ちされた杉の植林帯となる。
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岩と苔が現れるとすぐに洞窟状の大岩には金刀比羅宮が祀られている。
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すぐ上の大きな岩の割れ目をくぐり抜けると展望石がある。
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この時期だから当然湿度は高く、できるだけ汗をかかないようにスローペースを心がける。
ミニ88カ所を左右にしながら階段の登りになり、大きな杉が見え出すと東光寺に着く。
東光寺と名は寺だが鳥居や社殿があるところは神社の雰囲気がする。
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裏の尾根をひと登りで薄いガスがかかった山頂に到着する。
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下山は山犬嶽の見所である「水ゴケの見所」に寄る。
コケを見るには今が最も適した季節であり、屋久島を思い出すという参加者もいた。
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三体の月で知られる「秋葉神社」
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全国棚田百選に選ばれた「樫原の棚田」
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天候:曇り
樫原登山口9:50・・・ハイキングコース・・・10:20展望石・・・11:05東光寺・・・11:20山犬嶽12:05・・・12:15東光寺・・・水ゴケの見所・・・13:05樫原登山口

# by nakatuminesan | 2010-06-30 19:02 | 山を歩いてきました | Comments(0)

富士山3776m   

2010年 06月 29日

一度は登ってみたい山に富士山がある。
新田次郎原作の小説「富士山頂」は1970年、石原裕次郎主演の映画でもよく知られる。
富士山は休火山と教えられていたが、現在は活火山としている。
また富士山は江戸時代後期の1800年まで女人禁制だったそうだ。
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登山道は富士宮口、須走口、吉田口、御殿場口があるが、四国からだと富士宮口が最も近く、登山口の標高がすでに2380mと高い。
富士宮登山口からはすぐそこに山頂が見える。
合目ごとに小屋があり、その度ゆっくり休みながら登るのが富士登山のコツ。
ツアー登山のほとんどは七合目か八合目で泊まるようだ。
3250mの八合目あたりから酸素が少なくなったことを感じだす。
3600mの九合五勺付近では、ほとんどの人が亀さん状態で歩を進める。
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鳥居をくぐると浅間大社奥宮があり、郵便局も開設されている。
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富士山頂気象観測所はレーダードームが撤去され無人化されている。
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10分ほどで日本最高峰・剣ヶ峯に立つ。
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山頂の直径約800mある火口の周りに8つの峰(剣ヶ峰3776m・白山岳3756m・伊豆ヶ岳3740m・朝日岳3730m・成就ヶ岳3730m・三島岳3730m・久須志岳3720m・駒ヶ岳3710m )があり八神峰という。
この八神峰の周りを一周することをお鉢巡りという。
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火口壁
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これまでのヒマラヤ登山では、直前に高度順応として山頂テント泊をした。
気休めかもしれないが、八合目で酸素量が下界の3分の2に減ることを考えると効果を期待した。
酒を飲み、ぐっすり眠れて、翌朝しっかり食欲があれば気を良くした。

下山は御殿場ルートが楽しい。
駿河湾の向こうは伊豆半島
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山中湖
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宝永山と愛鷹山
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宝永山からの山頂
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宝永火口から富士宮登山口までは近い。

# by nakatuminesan | 2010-06-29 10:25 | 日本の山 | Comments(0)

ガストン・レビュファ著「星と嵐」   

2010年 06月 28日

近藤等訳 新潮文庫 1974年発行
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「六つの北壁登行」が語られている。
“山の詩人”と言われるガストン・レビュファは1921年フランス・マルセイユ生まれの登山家。若い頃から登山を始め42年ガイド資格取得。
45年グランド・ジョラス北壁第2登、50年アンナプルナ遠征参加など。
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もう40年以上も前だったか、来日したことがある岩登りの達人。
岩を攀じていた若い頃、レビュファは神様的存在でした。
ザイルパートナーが難しい箇所をすんなり登ると、「よっ レビュファ!」とからかったりしたものです。
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グランド・ジョラス4208mの北壁
ウォーカー・バットレス(高距1200m)1945年
北壁における登攀史がつづられていて、「グランド・ジョラスの北壁ってのはどれでしょう?」と尋ねたリカルド・カシンが1937年に初登攀している。
墜落シーンは迫力をもって描かれている。
3日目の正午、頂に抜け出る。
かくて、あこがれから、人生の大いなるよろこびが生まれる。
けれどもあこがれは、いつでも抱いていなければならない。
わたしは思い出よりもあこがれが好きだ。

中央バットレス(高距1000m)1947年
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ピッツ・バディレ3308mの北壁(高距900m)1949年
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ドリュ3733mの北壁(高距800m)1946年
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マッターホルン4482mの北壁(高距1100m)1949年
いま、わたしたちは最も美しい峰の上にいるのだ。
わたしたちは眺める。
天に向ってそそり立つピラミッドの頂上で、微々たるわたしたちは、地球が眠りにつく場面に立ち会っている。
それから地球とともに夜へ身をゆだねる。
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チマ・グランデ・ディ・ラヴァレド2998mの北壁(高距550m)1949年
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アイガー3974mの北壁(高距1600m)1952年
3日間、わたしたちは難場、寒気、嵐など、人間に刃向うものにしか遭遇しなかった。
なおしばし、わたしたちは高嶺の別世界を眺め渡した。
疲れはすっかり消えた。
眼下では雲海が愛撫される猫のように、風に吹かれて背を丸めている。
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# by nakatuminesan | 2010-06-28 18:00 | | Comments(0)