木曽のなぁ~仲乗りさん で始まる木曽節に歌い込まれた御嶽山。
富士山や白山とともに信仰の山として、山に登らない人にも知られている。
夏には白衣の御岳講の人たちが「六根清浄」を唱えながら登るという。
信濃奇勝録にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る。福島より十里、全く富士山に登るが如し」とある。
日本の3000m峰21座中での標高1500m以上の面積となれば、富士山よりも大きいといえそうで、まさに古くから信仰の山として信者の畏敬を集めてきた巨峰。

江戸末期から明治初期にかけては、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。
過去には何度も噴火を繰り返したコニーデ型の複式火山であり、昭和54年10月に起きた水蒸気爆発は日本中を驚かせ、山頂直下では現在も噴煙が上がっている。


最高峰は3067mの中央火口丘“剣ヶ峰”である。

その周りを継子岳(2859m)、摩利支天山(2959m)、継母岳(2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。

これらの峰々の間にはエメラルド色の一ノ池から五ノ池までの山上湖があり、標高2905mの二ノ池は日本最高所の湖沼として知られる。

登山口は木曽側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、飛騨側から2つ(小坂口、日和田口)ある。
また乗鞍岳との間には映画『あゝ野麦峠』で有名となった峠がある。
明治9年ごろまで、ここから上は女人禁制だった王滝口七合目の大江権現。

御嶽山を北アルプスに含めるべきとの意見があり、一般的には含まれないというのが定説であるとはいえ、明確な結論は出ていないというのが事実のようだ。
山頂からの展望は広大で3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができるが、どうしても槍穂高のほうに目が向いてしまう。

乗鞍岳とともに山スキー登山によく通った山でもあり、登りやすさは御嶽山だが滑る楽しさは乗鞍岳が上。
どちらの山も山頂から滑降を始め、最後はスキー場に滑り込めるという面白味がある。
初登山は岳友を誘った19歳の厳冬2月のことであり、とにかく高い雪の山に登りたくてしかたがないころ。
現在のスキー場は「おんたけ2240」だが、当時は「村営おんたけスキー場」だったと記憶している。
そのゲレンデ最下部の標高1400mあたりから登ったが、ワカンで腰までの本格的ラッセルには大汗をかいた。
田の原にある山小屋の床下のような所に潜り込み、木切れを見つけて焚き火をしたまではよいが、換気が悪くて煙のひどさには参った思い出がある。

仙丈ヶ岳と富士山に次ぐ厳冬期三番目の3000m峰だったから、冬山一年生の二人にとって登頂の喜びは大きかった。