カテゴリ:昔むかし( 127 )   

厳冬の槍ヶ岳   

2019年 01月 02日

あの加藤文太郎は厳冬の槍ヶ岳に4度登頂している。
昭和42月に続き翌5年の1月と、厳冬の槍は文太郎の心を惹きつけたにちがいない。
単独行」を何度読み返したことだろう。
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しびれる箇所を紹介します。
“山に登るには遅いと思ったが、天気はいいし、雪は堅くアイゼンで楽だったから頑張ってみる。風は強くないが相当寒い。中略 槍の頂上、なんとすばらしい眺めよ。あの悲しい思い出の山、剱岳に圧倒されんとしてなお雄々しく高く聳えている。感慨無量”
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このように晴れたに違いないだろうと想像するだけで興奮してしまいます。
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驚くのは3度目になる72月の行動で、槍から笠ヶ岳を30時間余りかけて往復している。


厳冬の槍の頂きには何度か立っていますが、1994年末の大喰岳西尾根からの登頂が最後になってしまいました。
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あの氷雪の鎧を纏った槍の穂は心に刻まれています。
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by nakatuminesan | 2019-01-02 15:11 | 昔むかし | Comments(0)

羨ましき10代   

2018年 12月 14日

あの松濤明は1938年(昭和131230日、八ヶ岳の赤岳鉱泉~硫黄岳~横岳~赤岳~権現岳~編笠山~小淵沢駅を単独縦走している。
夏でも健脚者でなければ1日での走破は不可能で、この厳冬期の記録は早熟というかおそるべき16歳。

1939
年(昭和141223日、北穂高岳滝谷第1尾根の冬季初登を成し遂げる。
パートナーとして島々の名ガイド上條孫人を伴っていて、極限の登攀を終えたのは17歳の若者であった。
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あの氷雪の鎧を纏った厳冬の岩壁を攀じるとは、当時の装備を考えると背筋が凍る思いがすると言っても大袈裟ではないだろう。

加藤文太郎が信州方面の本格的な登山を始めたのは20歳のころ
1925年(大正14からである。
だが10代のころには
早朝に須磨を出て六甲全山を縦走して宝塚に下山し、その日のうちに歩いて須磨まで帰って来たという。
驚くかな距離は約100kmに及ぶのである。
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ちょっと脱線してしまいます・・・
フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで初優勝を飾った紀平梨花選手は16歳です。
新女王はさらなる高み目指すことになり、2022年の北京冬季オリンピックに期待がかかりますね。


by nakatuminesan | 2018-12-14 17:15 | 昔むかし | Comments(0)

ミシンを踏む   

2018年 11月 14日

今のミシンは電動でしょうが、昔のミシンは足踏みミシンでした。
足踏みミシンを知っている人は年配者でしょうね。

その
ミシンを踏む経験をザイルのトップでしたことが何度かあります。
岩登りで
ザイルのトップは絶対に落ちてはなりませんでした。
難しいピッチになると墜落の恐怖に足の疲労も加わり、ついにアキレス腱が痙攣しそうになったりしました。
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足がガタガタ震えてミシンを踏めるほどの状態になります。
それでも指先がわずかに掛かるホールドに頼るしかありません。
「落ちるかもしれんぞ」とセカンドに大声で確保を頼み、ミシンを踏みながらデリケートなフリーの難所を越したときの達成感はありました。
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どちらかといえば岩が上手な壁屋ではなく、尾根屋だった50年ちかくも昔の話をしてしまいました。
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by nakatuminesan | 2018-11-14 18:56 | 昔むかし | Comments(0)

厳冬の南八ヶ岳記憶なし   

2018年 06月 11日

厳冬の南八ヶ岳縦走は過去に2回やりました。
大学山岳部1年生のときは天狗岳から。
2年生のときは阿弥陀岳南稜からでした。
ともに単独行ではなくパートナーと二人の山行でした。

当時のことを先日の山行で思い出そうとしましたが、ほとんど記憶にある場所はありませんでした。
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阿弥陀岳南稜からのときは天気は悪くなかったのですが、夏とは様子の違う厳冬期だし半世紀も前のことですからね。
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ただ赤岳の下りで一箇所だけ覚えている場所がありました。
それは49年前にもなる天狗岳からの縦走でした。
20101222日の記事“
若さゆえの山”で書きましたが、あれほどの厳しい冬山の体験は後にも先にもありません。

その覚えている場所は赤岳の幅広いルンゼ状の下りでした。
シリセードで滑れば速いし快適だと思いました。
ところが氷化した箇所で岳友がシリセードに失敗し、岩に追突して停止したもののアイゼンが破損してしまいました。

35
度ぐらいの斜度だから止まったのでしょう。
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これは阿弥陀岳南稜からのときのキレット小屋の写真です。
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この2枚は今回です。
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天狗岳からのときは連日猛吹雪だったので写真はありません。



by nakatuminesan | 2018-06-11 17:24 | 昔むかし | Comments(0)

コッヘル   

2018年 02月 01日

ドイツ語でキャンプや登山用の小型携帯炊事用具です。
500ccから2000ccぐらいの容量のものが主流で、素材は鋼やアルミニウムが多かったが最近ではチタンが増えています。
形状は角型よりも圧倒的に丸型が多く使われていて、キャンプ用などにはフライパンもセットになっています。
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これは長年にわたる単独行で使用したコッヘル兼食器で、形はボコボコで今では使うことはなくなりました。
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いつもザックに入れているコッヘルで容量は900ccです。
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あの加藤文太郎もコッヘルの愛用者だったようです。
単独行から・・・
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「手早くコッヘルを出して雪と甘納豆をほうり込み火をつける。雪がそろそろ溶け出すと氷小豆という奴になっているのでもうたべられる。」
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この文が好きで若いころは真似をしたものです。

文太郎の山行記録にはよく甘納豆が登場します。
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カロリーや調理が簡単なことを考えると優れた食品だったのでしょうが、かなり甘党の岳人だったに違いありません。





by nakatuminesan | 2018-02-01 14:33 | 昔むかし | Comments(0)

穂高合宿   

2017年 11月 30日

昭和45年と46年のGWに新人歓迎合宿が穂高でありました。
部報には「・・・新人の雪上訓練及び上級生のより一層の登攀技術の向上を目指して・・・」などとあります。
穂高合宿となればBCは涸沢か岳沢が思いつきますが、なぜか45年は横尾をBCとしています。
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久しぶりに部報を引っ張り出してきて、読むと若かりしころが懐かしく感じられます。

前穂北尾根のときなど奥穂の山頂から横尾まで3時間足らずですから、いかにシリセードが速いかが分かるというものです。
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ジャジャーン!前穂山頂です。
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東陵とか作線とか東稜と作戦なのに誤字が多いですね^-^;
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メシに湯をかけ朝食とし・・・なんて貧しい山岳部。

南岳東陵?は稜線に乗るまで緊張の連続だったことを覚えています。
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46年は涸沢をBCとしました。
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この年も前穂北尾根では先行パーティーのため時間待ちがあり、今も昔も人気のルートであったということでしょう。
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北尾根からの奥穂高岳。
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雪上訓練中のBCとはトランシーバーで交信しています。
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ジャンダルム
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滝谷四尾根登攀でも悪コンディションに時間待ちが加わって、完登を諦め暗闇の北穂沢を駆け下りBC着は夜の10時になりました。
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雪崩を起こしたりテントを燃やしそうなったり思い出深き涸沢合宿でした。
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河童橋
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by nakatuminesan | 2017-11-30 17:59 | 昔むかし | Comments(0)

幻の積雪期黒部横断   

2017年 11月 05日

半世紀前になる昭和30年代から40年代にかけ、積雪期における黒部川横断が盛んに行われていました。
山岳雑誌“岳人”の1968年三月号には白馬~剣岳の特集がありました。
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まだ山岳部現役だったころで黒部横断に興味があり、この記事を何度も読み返したものでした。
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20代のころ一度だけ積雪期の黒部横断を計画したことがあります。
単独ですから厳冬期では歯が立たず、というか単独黒部横断なんて敗退の確率が高いだけでなく、自殺行為にも似た山の掟破りであると思いました。
もう社会人でしたから時期はGWしか考えられず、ルートは鹿島槍ヶ岳~S字峡~ガンドウ尾根~剱岳の山中56泊でした。
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その下見として1972年のGWにバリエーション・ルートの天狗尾根から鹿島槍ヶ岳に登りました。
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このときアラ沢上部で起きたブロック雪崩で命を落としそうになったからか、翌年に予定していた黒部横断は幻の計画になってしまいました。

1973
年のGWは岳沢~西穂高沢~西穂高岳~ジャンダルム~奥穂高岳~直登ルンゼ~涸沢~上高地でした。
黒部横断に比べて楽な山を選んでしまいましたが、穂高大好き山屋としては諦めがつきました。

9
月の後立山縦走では幻の横断を思い出し、黒部へ下る鹿島槍ヶ岳牛首尾根の牛首山を眺めていました。
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そしてまた先日の下ノ廊下でも幻の横断が蘇り、このあたりに降り立つはずだったと考えながら東谷吊橋の辺りを見ていました。
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おまけ・・・ソラマメの芽が出ました。
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芽出たし目出度しメデタシ
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by nakatuminesan | 2017-11-05 18:21 | 昔むかし | Comments(0)

思い出深き黒部横断   

2017年 10月 30日

山岳部現役3年生だった20歳の初夏、リーダー養成山行なる計画が練られました。
メンバーは同期1
人に1年先輩を加えた3人パーティーです。
ルートは馬場島~小窓尾根~剱岳~仙人ダム~東谷山尾根~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳~扇沢でした。
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富山県から入山して黒部の谷を横断し、長野県に下山するのが面白いのではなく、バリエーションルートの小窓尾根と五竜岳東谷山尾根に興味が湧いたからでした。
時期としては残雪多い4月末から5月上旬が楽ですが、残雪に期待できない6月中旬に実施されました。
GWは涸沢合宿だったと思います。

すでに入梅していたので白萩川は増水し、ザイルを張って渡渉に成功しました。
ちょっとした岩場はありましたが順調に小窓尾根を片付けて、小窓ノ王に迫る直前にアクシデントが起きました。
先輩が目の前から姿を消しました。

6
月とはいえ豪雪地帯の剱岳小窓尾根ですから雪稜になっていました。
雪は降り続く雨で氷化した状態でした。
それなのに何故だかアイゼンを装着していなく、スリップして小窓雪渓側に滑落したのです。
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斜度は40度ぐらいあったと思います。
ガスで下の様子はまったく分かりません。
大声で呼んでも返事はなく死んだものだと思いました。

すぐさまアイゼンを付けて下降を開始したところ、100mぐらい降りたあたりで先輩の声がしました。
信じられないことにかすり傷ひとつありませんでした。

無事を喜びながら反省の気持ちがいっぱいで、すでに剱岳に向かう気はありませんでした。
雪原の中に立つ無人の池ノ平小屋に泊まりました。

翌日は雪の詰まった仙人谷を下り仙人ダムに着きました。
今は雲切新道なるルートになっているようですが、当時は
阿曾原峠を通るのが仙人ダムへのルートでした。
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ダムには昼までに着きましたが、明日からの苦戦を考えて休養としました。

五竜岳東谷山尾根は当然ながら道などはなく、ヤブに始まりスズタケ漕ぎの連続でした。
標高が上がるとびっしりのハイマツ漕ぎに消耗し、ついに東谷山の手前でビバークになりました。

五竜岳登頂のあとは快調に鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳を越え、
種池山荘の手前から扇沢を下降しました。
谷は大きく崩壊した残雪の塊りがあり、雪壁登攀だとか言いながら遊びました。

先日の下ノ廊下で東谷山尾根に取り付いた場所を思い出そうとしましたが分かりませんでした。
尾根末端は紅葉真っ盛りでした。
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阿曾原温泉小屋からひと登りした所からは東谷山と五竜岳が眺められ、47年前の苦労した山が思い出されました。
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また9月の後立山南部縦走では剱岳がよく眺められ、先輩には失礼ながら滑落した場所に見入っていました。
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当時の写真を探しましたが3枚しかありません。

雪がないので小窓尾根中間地点でしょう。
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仙人谷上部だと思います。
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五竜岳山頂だと思います。
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梅雨時だというのに雨にも負けることなく連日行動し、今でも忘れられない山中6泊の黒部横断山行でした。











by nakatuminesan | 2017-10-30 18:50 | 昔むかし | Comments(0)

転付(でんつく)峠   

2017年 10月 21日

峠はるかに重荷にあえぎ あい見る山は北岳の峰よ♪…とは学生時代よく歌った「北岳の歌」です。
はるかに越える峠は夜叉神峠であっただろうと思われます。

はるかに越える峠は転付峠とて同じだったはずで、古い岳人たちは重荷にあえいで峠に立ち、荒川岳や赤石岳など南アルプス南部の峰々に心を打たれたのでしょう。
昔は早川から大井川上流へ至る道はいくつもあったそうです。
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いくつかあったルートですが人の行き来が減り、現在では付峠を越えるルートが唯一となっています。
しかし大井川上流に東俣林道が開設され、二軒小屋までリムジンバスが通るようになって以来、早川側からの登山者の姿は減っていると聞きます。
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静岡・山梨県境にある標高約2000mの峠付近には富士山の眺めが抜群の展望台があるらしく、悪沢岳や赤石岳にはじまり聖岳や上河内岳なども一望できるそうです。

それにしても
転付峠とは山屋の心に響く名前だと思ってしまいます。

一度だけ越えたことがあります。

昨日の続きのようになってしまいますが・・・
それは49年前になる初冬の茶臼岳~聖岳~赤石岳~荒川岳~塩見岳縦走の時でした。
すでに標高2500m以上には雪がきていて、赤石岳では30センチの積雪になっていました。
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最終ピークの塩見岳から長い蝙蝠尾根を下りました。
降り立った日没の二軒小屋付近でビバークし、翌日は標高差500mを登り返して転付峠に立ちました。
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49年も前になる1968113日のことで、岳友と二人で歩いた一週間の山旅でした。
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昔はこんなキスリングザックを背負っていました。

ん? そんなことより人相が悪いって!?^-^;

石柱には左 二軒小屋ヲ経テ赤石方面ニ至 右 新倉ヲ経テ西山身延方面ニ至 と彫られています。
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新倉へ出る内河内川沿いは季節からすると紅葉が綺麗だったはずですが、いくら半世紀も昔とはいえ記憶がまったくありません。

あの
松濤明は昭和15年に転付峠を越えていて、風雪のビバークには“春の遠山入”として記されています。
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by nakatuminesan | 2017-10-21 15:59 | 昔むかし | Comments(4)

蘇る青春の山旅   

2017年 10月 15日

先日の白峰三山縦走は天気に恵まれただけでなく、半世紀も前を懐かしく思い出してしまう山になりました。
それは
山岳部現役1年生だった18歳の秋、同期4人による個人山行での南アルプス北部縦走でした。
鳳凰三山~甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳~白峰三山と少し欲張った計画でした。

1
日目・・・夜叉神峠から入山して薬師岳あたりでツェルトビバークする。
いきなり夜中に豪雨となり全身びしょ濡れネズミ。

2
日目・・・濡れ物を乾かしているうちに出発が午後になり、鳳凰三山を終わらせ無人となった早川尾根小屋で泊まる。

農鳥岳からの鳳凰三山
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3日目・・・アサヨ峰を越えて栗沢山から急降下した仙水峠から甲斐駒ヶ岳をピストンし、北沢峠で各自ツェルトは張らずに被って星空天井とする。
ここで昔から有名だった“北沢峠のオバケ”を体験する⇒⇒2011629日の記事を参考に。

小太郎尾根からの甲斐駒ヶ岳
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4日目・・・仙丈ヶ岳を越えて仙塩尾根(昔から馬鹿尾根と呼ばれていた)を辿る。
横川岳を過ぎたところから野呂川に下り、掘っ立て小屋みたいな無人の両俣小屋で泊まる。

小太郎尾根からの仙丈ヶ岳
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5日目・・・天気はいいのに何故か停滞してしまい、日向ぼっこや河原で遊んで過ごす。
夜はそのへんの雑草を入れたオジヤで腹は満たされました。
当時の食料といえば米と味噌だけは多量に持っていて、贅沢なまぐろフレーク缶など時たま口に入る程度の粗末な食事でした。

6
日目・・・左俣沢から中白根沢の頭を越え北岳に立つ。

先日の山行で両俣小屋の標識を見たときは懐かしく思いました。
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間ノ岳から下った農鳥小屋付近でツェルトビバークする。
えらく水場が遠かったように覚えています。

7
日目・・・農鳥岳を越えて広河内の谷に降り、奈良田に下山して1週間の山が終わりました。

農鳥岳からの北岳と間ノ岳
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現在の広河内には堰堤が多数ありますが当時は何もありませんでした。
広い河原に大きなクラックのある大岩があり、チムニー登りをしたことが思い出になっています。
探しましたが発破で破砕されたのか大岩はありませんでした。
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by nakatuminesan | 2017-10-15 12:23 | 昔むかし | Comments(0)