9月29日(木) 天候:曇り時々晴れ
シバン8:00・・・8:35道路下降点・・・10:25吊橋11:30・・・13:45ムリ(Muri)1800m

今日からモーニングティーと洗面器の湯がテントに運ばれる。

燃料の半分以上を失ったことで昨夜は大騒ぎになったのだが、昼食に立ち寄ったバティの辺りに落ちているとの連絡が入る。
ラクパとポーターが回収に向かうので一件落着だ。
トレッキング初日の朝食は大西と松田はお粥、鶴木はトーストだ。
これに卵焼き(目玉焼き)が今後のスタイルとして定着することになる。

今日から10日間かけてヒドンバレーのBCまでトレッキングが始まるのだ。

夜のうちに降った雨は標高4500m付近から雪になったらしく、これから進むMyagdi River(右の谷)の奥には白い峰が望まれる。

分かりにくい道路下降点から10分下るとポーターたちが休んでいる。

緩い下り道は祖谷にいるような錯覚すらしてしまう。

名の分からない花が咲いているし大麻が自生している。

ツリフネ

サーダーのチリンは自衛隊の親分みたいな風貌だ。

あちらこちらで蕎麦が花をつけていて、のどかな水田地帯の畦道を歩くあたりはトレッキングルートかと疑ってしまいそう。

吊橋の向こうにはキッチンやポーターたちが休んでいて、どうもランチの準備をしているようである。

Dhara Kholaに架かる吊橋を渡るとランチタイム。

驚くことにうどん&コロッケじゃないか!

スダチじゃなくスンタナというミカンだよ。

田んぼの畦道から草付きの急斜面につけられた道に変わり、緩い登りが続くようになるので標高が上がるので嬉しくなってくる。

大西に教えてもらった花であるが名を忘れてしまう。

ロバとすれ違うときは山側にいないと危険です・・・押されると谷に落ちてしまうから。

ヒマラヤに咲く花

今日の行程は短くて楽だから、のんびりポーターたちも休み休みしながらだ。

彼らの会話を想像してみよう・・・
「日本から来た3人組のオジサンたち何歳だろう?」
「年寄りみたいだけど6000mを超える山を二つ登るらしい」
「う~む 頑張ってサミットしてほしいけどな~」
「そうだな 俺たちも出来るだけサポートしてやろうじゃないか」
Myagdi River を挟んだ対岸の斜面には棚田が広がっていて、徳島にあるものとは比べようもないスケールだ。

小さな尾根を左に回りこむとムリの一角が見えてくる。

200軒ぐらいはありそうな大きな村である。

今日もテントサイトは小学校になり、有難いことに調理室として教室が提供された。

バーナーはケロシンを燃料として使っている。

20本ほど用意した缶ビールが切れると困るので、さっそく村の店に買出しに出かけることにした。
昨日のシバン同様でダンス競技が行われていて、何人か見物にきているポーターの姿もあった。

探すこと3軒目で瓶ビールと缶ビールを手にしての帰り道。

Do you Have Beer? などと片言の英語で話しかけ、なんとビールを我が物にする難しさよ。

モモ

親子丼

ナス&鰹節

どの料理も舌がとろけそうなほど美味しくて、昨夜の不安は一気に吹っ飛び名コックと呼ばれるようになる。
9月30日(金) 天候:晴れ
ムリ7:50・・・8:50吊橋・・・10:45バティ12:15・・・13:10小屋・・・15:55峠・・・16:40ボガーラ(Bagara)2080m

快晴で明けると純白の峰々が輝いていて、左からGurja7193m~Khambong6570m~Myagdi Matha6273mと連なっている。

先生二人がやってきて学校設備充実のため寄付を頼まれた。
目の前にヒマラヤの眺めを楽しめたので気分もよく、一人500ルピーを寄付することにした。

シバンに電気がないのは意外だったが、ここムリでは各家ともソーラーパネルを設置している。

後方はJirbang6062mとManapathi6380mである。
Mudi Kholaへ向かってどんどん下ってゆくあたりは勿体なく、標高差400mは下ったと思われる場所に吊橋がある。

少し登った峠からはムリの村が眺められ、Jirbangを眺めながらスタッフたちとともに一休み。

ヒマラヤは9回目だが稗畑を通過するのは初めてだ。

南洋風ロッジでの昼ごはんはウドン&サンドイッチ&フライドポテト。

20人分の食事を作り食べて皿洗いまで、わずか1時間半で済ましてしまうキッチンたちの素早いことには感心させられる。

左は草付きの絶壁が続いているし、右にはMyagdi Riverの濁流だ。

ジメジメした岩にはイワタバコが自生する。

1時間ほどで粗末な造りの小屋があり、女性ばかりだからかサーダーのチリンが陣取っている。

ラクパが大きなウリを畑から採ってきて、さあ食べろと勧められるが褒められた味はしなかった。

小屋の横ではブンブン蜜蜂が飛んでいて、さあ出発しましょうと言った大西の一声に助けられる。

眺める谷はV字状をなしていて、右岸の弱点を狙って道がつけられている。

よくもまぁ こんなところに道をと思ってしまうのである。

遠くから見えていた峠状で最後の休憩。

少し下ると歓迎の標識が立っていて、今日も学校でキャンプかと思えば大違い。

サーダーの一声・・・今夜は雨が降りそうだからロッジに泊ります。

喉カラカラでビールをラッパ飲み。

サーダーから稗で作った焼酎を勧められ、飲んでみるがアルコール度は10度未満でイマイチ。

骨付きチキン&テンプラ丼みそ汁付き~^-^
10月1日(土) 天候:晴れ時々曇り
ボガーラ7:45・・・10:30Ripsiba・・・11:25Hotel Dhapcha12:50・・・15:40ドバン(Dovan)2550m

サーダーが言ったとうり昨夜は雨が降った。
しかし夜が明けると晴れていて、三角の形をしたジルバン6062mの眺めがすばらしい。

「難しそうだな、未踏峰か?」とフリに聞いてみる。
「登ってはいけない山です」
歩き始めると建築中のロッジがある。

歩きにくくない?
「慣れていますから」

35キロの荷を背にしてポーターたちは急坂を平気で登ってゆく。

今日もMyagdi Riverの右岸を進むらしく、左側は草付きの大岩壁が屏風のように続いている。

道は歩きやすくヤマハギのような花が咲いている。

岩壁には大きなハチミツがぶら下がっている。

ここは滑ると終わりなので要注意!

なんだか熱帯ジャングルみたいになってくる。

落差300mはありそうな滝に大歓声・・・滝の名前はジムロコッチサガです。

WELCOMEという標識だけの場所を通過するが、渡渉もあったりして退屈はしない。

昼前になり小屋に到着するとHotel Dhapchaと書いてある。

ネパールの山奥では屋根のある建物はホテルなんだと理解した。

ディディ(didii:女将さん)と71歳になる老女がいて、4日前に生まれたばかりの水牛もいる。

昼食は野菜テンプラうどん&ゴマふり巻き寿司。

再び熱帯ジャングルに入ってゆく。

見上げると雲の中から滝が落ちていて
「800メーターぐらいありそうだな」
チリンが「1000メーターより高いでしょう」

ジャングル&滝見物を終え、昨日に続きロッジが一軒だけのドバンに到着。

まず一番にする仕事は横を流れる小川でビールを冷やすことで、次に汗を拭いて足も洗って洗濯をした。

今夜も雨になるとのことでロッジ泊まりになり、テントを張ることもないのでスタッフは嬉しそうだ。
水が豊富なのでキッチンたちは食器をきれいに洗っている。

サーダーから衛星電話を借りて5時ごろ家に連絡した。

ネパリウィスキー(焼酎)

ダルバート

ダウラギリ一周はトレッカーが少ないルートであり、今シーズンに入り我々が5組目とのことである。
10月2日(日) 天候:晴れ時々曇り
ドバン8:30・・・10:50渡渉点11:15・・・11:35Talitre・・・12:40渡渉点・・・13:15サラガリ(Sallaghari)3110m

目覚めると雨が降っているので停滞かと思ったが8時には止んだ。
Konabang Kholaの上流を見上げると新雪が積もっていて、この時期は標高4500m以上になると雪になるようだ。

出発してすぐ濁流のMyagdi Riverを左岸に渡る。

そして小さな谷を渡ると怪しげな花やキノコがある。

今日もジャングルトレッキング。

日本だと名所になりそうな落差300mぐらいの滝には驚かない。

今日はサラガリまで食事を作る場所がなく、渡渉点で軽く食べることに決めている。

ジルバンが変わった姿で見えるようになってきた。

標高が3000m近くなると風も涼しく感じられ、樹種はモミや竹が主流になってくる。

日本だと鉄ハシゴかロープが設置されている斜面を急降下すると渡渉が待っている。

これだけ渡渉を繰り返すとザックの軽い我々は名人になってきたが、重荷のポーターたちは若者とはいえ楽ではない。

キッチンのドジがホットオレンジを運んでくる。

10分も進むとサラガリの快適なテントサイトだ。

標高が3000mを超えたこともあり、野菜スープにはニンニクが入っている。

個人テントの近くにはトイレテントが張られた。

ビールを飲みはじめるとフライドチキンが出るとは絶妙のタイミング・・・コックのチリありがとう(^-^)

写真写りがよくなるように髭を剃った。

夕食は焼き飯

ベニで350ルピーだったビールだが、ここまで来ると700ルピーと高額になってくる。
10月3日(月) 天候:晴れのち曇り
サラガリ7:45・・・9:50Chaurawan・・・10:35イタリアン(Italian)BC 3650m

ワサビ茶漬け&トーストを食べ終えて、今日からはジャングルを抜け出し快適になりそうである。

歩きはじめて20分でダウラギリⅠ峰8167mが姿を現した。
南西の肩7000m付近が見えていて、山頂は向こうに隠れているが感激の一瞬だ。

白い峰はダウラギリⅡ峰7751mに続く稜線と思われる。

Choriban Kholaを渡渉する。

ダケカンバに日本の山を思い出してしまう。

ザクロ?

緑・黄・白の三段染め

タテヤマリンドウのような小さな花がたくさん咲いている。

ダウラギリ西壁は標高差4000mありそうだ。

見上げていると首が痛くなるので足元に目をやると、咲いている花はウメバチソウに似ていないでもない。

このあたりが植生からして樹林限界のようである。

北アルプスの紅葉は終わったことだろう。

石造りの小屋があるイタリアンBCに到着する。

小屋には夫婦らしい二人が常駐しているので、簡単な食事なら頼むことができると聞いている。

松田が持ってきた日の丸を揚げたところ、こちらが良く見えるとサーダーが場所を移した。

ベニで雇った二人のポーターはここまでで、昼食のあとチップを受け取ると帰っていった。
チェコからの7名が高度順応の一日を過ごしているようだ。

乾燥していて快適なテントサイトであるしトイレも清潔だ。

クーラーに氷を入れて運んできたチキンだが、食べるなら今夜あたりが最後かな?

・・・キッチンが運んできたのはチキンカツだった。

ネパール入りしてから風邪気味だった松田は元気だし、自己到達高度を更新している大西も快調だ。
10月4日(火) 天候:晴れ イタリアンBC滞在
ツァルラボンTsaurabong(6395m)が見える気持ちのいい朝だ。

水場のほうから松田の大声がする。
収穫したキノコをディディが洗っていて、重さは10キロ以上もありそうだ。

チャウという名の食用らしく、夜は鍋だとキノコ好きの松田は大騒ぎ。

コックのチリに頼むとOKだ。

細かく裂いて乾燥させて保存食にするらしい。

ポーターたちはトランプに興じている。

高度順応にラクパとペンバが付き合ってくれる。
急な草付き斜面を登っていく。

期待したダウラギリⅡ峰は雲に姿を隠しているが、主峰は嶮しい北西尾根を見せている。

250mほど登った標高3880mを最高点とし、皆でいろいろ話しながら40分ほど休憩した。

のんびり植物をカメラに収めながらテントに戻った。

乾燥した空気と強い日射でキノコは半分ぐらい乾いているようだった。

昼食に豆腐入りキノコ汁が出たのには驚いた。

午後は自由に過ごすことにした。

面倒くさいけど皆の真似をして二度目の洗濯をした。

若いポーターに話しかけてみた。
自分は66歳で妻は62歳だと手帳に書き、両親の歳を聞くと教えてくれた。

17歳のポーターは父親が42歳で母親は40歳。
19歳のポーターは50歳と48歳で、私の年齢に驚いたような顔をした。

二人はチェスカムという村の出身である。
グデル出身のキッチンのドジが登山歴を聞いてきたので、11年前になるツクチェピークの登頂日を書いて見せた。

今回のキッチンとポーターは3人を除きグデル出身で、近いうちに空港ができることを楽しみにしているようだ。
夜は皿に寿司メシと炒めたキノコが盛られていて、頼んだ鍋は意味が通じなかったようである。

お好み焼きは抜群の味で文句なし。

大西は富士山の高度を超えたことだし、いよいよ明日は4000mライン突破である。