ツェルトの恐怖   

2016年 03月 18日

恐怖シリーズ第三弾。

雪山の“ねぐら”は冬期小屋が最も快適でした。
しかしルート上に冬期小屋がなければ雪洞とツェルトに頼るしかありません。

風雪や吹雪になれば雪洞に潜り込みましが、天気がよくて風がなければ短時間で張れるツェルトが便利でした。
単独で雪山をスピーディーに行動するためには荷物の軽量化が重要で、重いテントは選択肢にないというか持っていませんでした。
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ツェルトは軽量(700グラム)だし嵩張らないのが利点でしたが、寒さだけは覚悟と我慢を求められました。
コンロを消して5分もしないうちに、ツェルト内は外気温と同じ寒さが襲いましたから。


恐い話①1971年冬の北鎌尾根~槍ヶ岳~西穂高岳単独縦走・・・
天狗ノ腰掛に着くとラッセルで消耗した身体では雪洞を掘る元気はなく、岩とハイマツの間を掘り下げツェルトを張る。
明日には越えてゆく独標が目の前に迫っていて、ビバーク地としては文句なしと北鎌一日目は上機嫌。
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明日は槍の穂先に立つと思っただけで、高まる興奮でなかなか寝付かれない。
夜中の日付がかわるころから風が吹き始め、3時ごろには吹き飛ばされそうになる。
飛ばされるなら北は千丈沢だし南だと天上沢で、どちらも標高差1000mだから似たようなもの。

ツェルトに入ったまま谷底まで落ちるかもしれず、なぜか加藤文太郎と松濤明のことを考えてしまい、このときほど夜明けが待ちどうしかったことはない。
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寝不足だが朝食もそこそこに出発だ。
独標に立つと槍ヶ岳は目の前になるが、すでに穂先はガスに覆われはじめている。
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穂先には4時間少々で立つことができた。
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今になって思えば2日を要したとはいえ、末端のP2から10時間半で駆け抜けたのだから速かった。
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44年ほど前だから今の3分の1ほどの歳でしかないけれど、体力と気力は3倍あったということであろうか。


恐い話②雪の乗鞍岳・・・
よく山スキーで通った山に乗鞍岳があります。
お気に入りのツェルトビバーク地は、広々とした位ヶ原の標高2480m地点でした。
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そこにはダケカンバの木が何本かあり、ツェルトを張るのに好都合だったからです。

おまけに天気がよければ乗鞍岳を正面にできるからで、これ以上の雪山の“ねぐら”はないと思っていました。
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風があれば雪洞は標高2450mにある急斜面の上か、標高2600m付近の吹き溜まりと決めていました。

ある年末の山スキーでのねぐらは定宿?でした。
風もないので何の不安もなくツェルトは10分で張り終える。
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ウイスキーでほろ酔いになり機嫌よく寝入り、何時か忘れましたが風の音で目が覚める。
ツェルトはバタバタしているうちは大丈夫。
ところがバタバタでは収まらなくなり、突然にしてダケカンバの張り綱が切れてしまう。

倒れたツェルトは身体の重みで飛ばされることはないだろう。
そのうち四隅の張り綱も切れてしまい、ついに底からめくられツェルト内は雪でいっぱいだ。
北鎌みたいに谷に落ちる心配はないが、真っ暗闇は恐怖だし強風は止みそうにない。
いまさら雪洞は掘れないしお手上げ状態とはこのことか。

夜明けは先のことだから完全装備に身を包み、予備の細引きでツェルトを張りなおす。
このときの寒かったこと手の指の冷たかったこと(。>0<。) 
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でも夜が明けると風は弱まり青空が広がっていて、夜中の騒動が嘘のような登頂日和になりました。
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えっ! ウェアが古いって?
40年ちかく前のことですからね。

by nakatuminesan | 2016-03-18 15:44 | 山のあれこれ | Comments(0)

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