「北アルプス この百年」   

2015年 03月 03日

菊地俊朗著 文藝春秋 2003年10月発行
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冒頭に
「地図を作った陸地測量部員たちは地図もなしに、なぜ峻険なアルプスの頂に立てたのか?
日本アルプスの名を世界に広めた英国人宣教師ウェストンが、山麓でまず頼ったのは誰か?
これまで“外来”の登山者の側からしかスポットを当てられなかった近代の登山史を、幕藩体制の時代から山々を否応なく生業の場とし、近年では遭難時に救助態勢を組まざるを得ない“地元”の苦闘の視点から捉え直した画期的な北ア史。
営業小屋開設百年を期して贈る。」
とある。
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ちなみに営業山小屋第1号は1907(明治40)年に本格的開業の白馬山荘である。
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本書は長い山歴の著者ならではの内容になっている。

一般参加者は中高年の男女が大部分である。整備された歩きやすい登山路を登ってくる。
これはいわゆる「近代登山」組なのだろうか。
「近代登山」という言葉にこだわるなら、最近、穂高岳の滝谷や屏風岩、剣岳の八ツ峰や源治郎尾根など、北アルプスの岩場でハーケンの音がめったに聞かれなくなったことを、どう理解したらいいのか。

山案内人は、ヒマラヤ登山でいえば、隊や個人が現地で雇うシェルパにあたる。
彼らシェルパの活躍とサポートなしには、これまでの数々の初登頂記録が生まれなかったことは確かである。
ただ、その初登の栄誉は、こく少ない例外を除いて、すべて彼らを雇ったサーブ(旦那)のものとなっている。 

などなど北アの知られざる歴史を紹介しつつ、登山行為を問いかけているようでもある。
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著者は1964年、長野県山岳連盟を中心とするヒマラヤ・ギャチュン・カン(7922m)登山隊に隊員として参加した経歴がある。
著書「栄光への挑戦」はギャチュン・カン登頂記である・・・2010年1月8日の記事を参考に。
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by nakatuminesan | 2015-03-03 17:34 | | Comments(0)

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