山に逝った人たち   

2011年 10月 15日

過去を振り返ると国内、海外を問わず多くの岳人たちが命を落としている。
スーパークライマーとか天才クライマーと呼ばれた優れた人たちがである。
そういった人たちはより困難を求める血が騒ぎ、自ら命を絶つ道へと突き進んだと言えないでもない。

1960年代末から1970年代にかけては岩登りをする人が多く、遭難事故が起きて死者も沢山出た時期だった。
その主役は1947~1949年前後に生まれた団塊の世代だった。

アルプスの三大北壁(アイガー、グランドジョラス、マッターホルン)を登った加藤保男は1949年3月生まれ。
まさに天才クライマーだった加藤は、1982年(昭和57)12月、厳冬期エベレストに登頂を果たすも下山中に消息を絶つ。

1950年(昭和25)2月生まれの山田昇も、8000m峰14座中9座に登頂し、当時は日本最強のクライマーとされていたが、1989年2月のマッキンリーで消息を絶った。 

長谷川恒男は1947年12月生まれだから私の2歳上である。
1973年秋の大組織によるエベレストに幻滅する。
1974年3月、冬季未踏であった谷川岳一ノ倉沢滝沢第2スラブを単独初登し、輝かしいソロクライマーとしてデビューする。

75年1月、屏風~奥又白~滝谷~槍ヶ岳北鎌尾根を単独継続登攀。
この22日間はアルプス三大北壁へ向けての一匹狼が奏でる序曲だった。

77年2月、マッターホルン北壁冬季単独第2登・・・これは65年に英雄ボナッティだけが成し遂げた偉業。
つづいて78年3月にはアイガー北壁冬季単独初登攀。
79年3月にはグランドジョラス北壁ウォーカー稜冬季単独初登攀を成し遂げる。
世界中のクライマーが狙った世界初の三大北壁冬季単独登攀の快挙に栄光の桧舞台に立つ。

マッターホルン
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アイガー
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グランドジョラス
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天才と呼ばれた彼らは、まるで蝶が舞うがごとく岩壁を攀じたそうだ。
その後の長谷川は目標を失ったのか、黒豹のような肢体、眼光、精気は失せたという。
1991年10月、当時未踏だったパキスタンのウルタルⅡ峰で雪崩に消えた。

真面目?な社会人となった1970年代の私は何をしていたか。
同じ一匹狼でもレベルが違い、毎年のように冬穂高に通っていた。

by nakatuminesan | 2011-10-15 14:37 | 昔むかし | Comments(0)

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