日本人初のヒマラヤ越え   

2010年 06月 27日

人気男優ブラッド・ピット主演で、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーのチベットでの7年間(1945~1951)を描いた映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』が大ヒットしたことは記憶に新しい。
ところがハラーより45年も前に、日本人として初めてチベットへの入国を果たした僧侶がいた。
最初にヒマラヤを越えた日本人は川口慧海(かわぐち えかい 1866~1945年)といわれている。
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早くから仏教に傾倒した慧海は、経典を求めて2度のチベット旅行をしている。
1897(明治30)年6月に日本を出発した慧海は、ダージリンでチベット語を学んだ後、1899(明治32)年ネパール入国。
1900(明治33)年7月、ダウラギリ山群北方の国境の峠「クン・ラ5411m」を越え、当時鎖国下にあったチベットに入った。
日記によればヤクに荷物を運ばせていたらしく、現地の同行者もいた可能性があるようだ。

ネパールの山岳地帯を越える慧海を描いた挿画
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チベット潜入後は西進し、マナサロワール湖畔で聖山カイラスを仰ぎ、反転して1901(明治34)年3月ラサに入る。

カイラス6656m
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約1年滞在するが日本人であることが露見し、1902(明治35)年5月シッキム経由で脱出する。
膨大なチベット語経典や民族資料などを収集した。

慧海が歩いたルート
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1913(大正2)年~1915(大正4)年にも2回目のチベット入境を果たしている。
その後は在家仏教僧として仏教の普及に生涯をささげている。
当時の体験をまとめた著書「チベット旅行記」は、学術的価値とともに、探険記としても高い評価を受けている。
『スリー・イヤーズ・イン・チベット』と英訳され、冒険家たちに絶大な影響を与えてきた。

2005年秋のツクチェ・ピーク登山の折、カリ・ガンダキに沿うマルファという村に泊まった。
この村には慧海がチベット入りの最後の準備をした家が記念館として残されている。
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by nakatuminesan | 2010-06-27 08:52 | ヒマラヤ | Comments(0)

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