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2010.6.30山犬嶽   

2010年 06月 30日

漢文年間(1660年)の七日七夜にわたる大雨で山頂が崩落し、山麓の集落を埋め尽くしたと伝えられる山犬嶽。
崩落前の頂上が山犬が口を開いたような形だったことが山名の由来らしい。

ハイキングコースをしばらく進むと、きれいに枝打ちされた杉の植林帯となる。
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岩と苔が現れるとすぐに洞窟状の大岩には金刀比羅宮が祀られている。
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すぐ上の大きな岩の割れ目をくぐり抜けると展望石がある。
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この時期だから当然湿度は高く、できるだけ汗をかかないようにスローペースを心がける。
ミニ88カ所を左右にしながら階段の登りになり、大きな杉が見え出すと東光寺に着く。
東光寺と名は寺だが鳥居や社殿があるところは神社の雰囲気がする。
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裏の尾根をひと登りで薄いガスがかかった山頂に到着する。
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下山は山犬嶽の見所である「水ゴケの見所」に寄る。
コケを見るには今が最も適した季節であり、屋久島を思い出すという参加者もいた。
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三体の月で知られる「秋葉神社」
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全国棚田百選に選ばれた「樫原の棚田」
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天候:曇り
樫原登山口9:50・・・ハイキングコース・・・10:20展望石・・・11:05東光寺・・・11:20山犬嶽12:05・・・12:15東光寺・・・水ゴケの見所・・・13:05樫原登山口

by nakatuminesan | 2010-06-30 19:02 | 山を歩いてきました | Comments(0)

富士山3776m   

2010年 06月 29日

一度は登ってみたい山に富士山がある。
新田次郎原作の小説「富士山頂」は1970年、石原裕次郎主演の映画でもよく知られる。
富士山は休火山と教えられていたが、現在は活火山としている。
また富士山は江戸時代後期の1800年まで女人禁制だったそうだ。
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登山道は富士宮口、須走口、吉田口、御殿場口があるが、四国からだと富士宮口が最も近く、登山口の標高がすでに2380mと高い。
富士宮登山口からはすぐそこに山頂が見える。
合目ごとに小屋があり、その度ゆっくり休みながら登るのが富士登山のコツ。
ツアー登山のほとんどは七合目か八合目で泊まるようだ。
3250mの八合目あたりから酸素が少なくなったことを感じだす。
3600mの九合五勺付近では、ほとんどの人が亀さん状態で歩を進める。
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鳥居をくぐると浅間大社奥宮があり、郵便局も開設されている。
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富士山頂気象観測所はレーダードームが撤去され無人化されている。
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10分ほどで日本最高峰・剣ヶ峯に立つ。
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山頂の直径約800mある火口の周りに8つの峰(剣ヶ峰3776m・白山岳3756m・伊豆ヶ岳3740m・朝日岳3730m・成就ヶ岳3730m・三島岳3730m・久須志岳3720m・駒ヶ岳3710m )があり八神峰という。
この八神峰の周りを一周することをお鉢巡りという。
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火口壁
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これまでのヒマラヤ登山では、直前に高度順応として山頂テント泊をした。
気休めかもしれないが、八合目で酸素量が下界の3分の2に減ることを考えると効果を期待した。
酒を飲み、ぐっすり眠れて、翌朝しっかり食欲があれば気を良くした。

下山は御殿場ルートが楽しい。
駿河湾の向こうは伊豆半島
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山中湖
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宝永山と愛鷹山
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宝永山からの山頂
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宝永火口から富士宮登山口までは近い。

by nakatuminesan | 2010-06-29 10:25 | 日本の山 | Comments(0)

ガストン・レビュファ著「星と嵐」   

2010年 06月 28日

近藤等訳 新潮文庫 1974年発行
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「六つの北壁登行」が語られている。
“山の詩人”と言われるガストン・レビュファは1921年フランス・マルセイユ生まれの登山家。若い頃から登山を始め42年ガイド資格取得。
45年グランド・ジョラス北壁第2登、50年アンナプルナ遠征参加など。
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もう40年以上も前だったか、来日したことがある岩登りの達人。
岩を攀じていた若い頃、レビュファは神様的存在でした。
ザイルパートナーが難しい箇所をすんなり登ると、「よっ レビュファ!」とからかったりしたものです。
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グランド・ジョラス4208mの北壁
ウォーカー・バットレス(高距1200m)1945年
北壁における登攀史がつづられていて、「グランド・ジョラスの北壁ってのはどれでしょう?」と尋ねたリカルド・カシンが1937年に初登攀している。
墜落シーンは迫力をもって描かれている。
3日目の正午、頂に抜け出る。
かくて、あこがれから、人生の大いなるよろこびが生まれる。
けれどもあこがれは、いつでも抱いていなければならない。
わたしは思い出よりもあこがれが好きだ。

中央バットレス(高距1000m)1947年
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ピッツ・バディレ3308mの北壁(高距900m)1949年
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ドリュ3733mの北壁(高距800m)1946年
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マッターホルン4482mの北壁(高距1100m)1949年
いま、わたしたちは最も美しい峰の上にいるのだ。
わたしたちは眺める。
天に向ってそそり立つピラミッドの頂上で、微々たるわたしたちは、地球が眠りにつく場面に立ち会っている。
それから地球とともに夜へ身をゆだねる。
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チマ・グランデ・ディ・ラヴァレド2998mの北壁(高距550m)1949年
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アイガー3974mの北壁(高距1600m)1952年
3日間、わたしたちは難場、寒気、嵐など、人間に刃向うものにしか遭遇しなかった。
なおしばし、わたしたちは高嶺の別世界を眺め渡した。
疲れはすっかり消えた。
眼下では雲海が愛撫される猫のように、風に吹かれて背を丸めている。
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by nakatuminesan | 2010-06-28 18:00 | | Comments(0)

相次ぐ山小屋開業   

2010年 06月 27日

登山者の増加にともない、大正から昭和にかけては一般登山者用の営業山小屋の開業が相次いだ。
それまでは信仰登山者用の室のほか、天然の岩小屋、木樵・釣師・猟師の小屋、測量や営林など官業の小屋を借用するか小屋掛けや幕営だった。
営業山小屋第1号は1907(明治40)年に本格的開業の白馬山荘。
その後は槍沢ロッヂ(1918年開業)、常念小屋(1919年開業)、燕山荘(1921年開業)、穂高岳山荘(1924年開業)、槍ヶ岳山荘(1926年開業)と続く。

明治末期の白馬山荘
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1933(昭和8)年当時の白馬山荘 ダブルベッド、バス付というホテル並みの特別室もあった。
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開業当初の燕山荘
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1921(大正10)年に建てられた大槍小屋。
槍沢の坊主ノ岩小屋下部にある平坦地に建設されたが、2度にわたる雪崩の被害に再建を断念した。
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1925年の穂高岳山荘
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1926年の槍ヶ岳山荘
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1930(昭和5)年8月に建てられた釼御前小屋。 
同年1月、剣沢小屋に宿泊していた窪田他吉郎ら6名が雪崩に遭って死亡した事故を教訓に、芦峅寺集落の人びとによって別山乗越に創建された。
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最近は乾燥室完備だし生ビールを飲める山小屋も多く、混雑時期を外せばとにかく快適そのもの。
大規模な山小屋の中には談話室や図書室を備えたところもある。
1500人収容をほこる現在の白馬山荘は山小屋とは思えないほど巨大である。

1955年開設の剣山頂上ヒュッテ
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1階は食堂や売店、トイレや風呂などがある。
2階が宿泊用の部屋と乾燥室。
風呂に入れる山小屋は数あるが、山頂にありながらとなると、日本中探してもここぐらいです。

by nakatuminesan | 2010-06-27 18:24 | 昔むかし | Comments(0)

日本人初のヒマラヤ越え   

2010年 06月 27日

人気男優ブラッド・ピット主演で、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーのチベットでの7年間(1945~1951)を描いた映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』が大ヒットしたことは記憶に新しい。
ところがハラーより45年も前に、日本人として初めてチベットへの入国を果たした僧侶がいた。
最初にヒマラヤを越えた日本人は川口慧海(かわぐち えかい 1866~1945年)といわれている。
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早くから仏教に傾倒した慧海は、経典を求めて2度のチベット旅行をしている。
1897(明治30)年6月に日本を出発した慧海は、ダージリンでチベット語を学んだ後、1899(明治32)年ネパール入国。
1900(明治33)年7月、ダウラギリ山群北方の国境の峠「クン・ラ5411m」を越え、当時鎖国下にあったチベットに入った。
日記によればヤクに荷物を運ばせていたらしく、現地の同行者もいた可能性があるようだ。

ネパールの山岳地帯を越える慧海を描いた挿画
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チベット潜入後は西進し、マナサロワール湖畔で聖山カイラスを仰ぎ、反転して1901(明治34)年3月ラサに入る。

カイラス6656m
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約1年滞在するが日本人であることが露見し、1902(明治35)年5月シッキム経由で脱出する。
膨大なチベット語経典や民族資料などを収集した。

慧海が歩いたルート
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1913(大正2)年~1915(大正4)年にも2回目のチベット入境を果たしている。
その後は在家仏教僧として仏教の普及に生涯をささげている。
当時の体験をまとめた著書「チベット旅行記」は、学術的価値とともに、探険記としても高い評価を受けている。
『スリー・イヤーズ・イン・チベット』と英訳され、冒険家たちに絶大な影響を与えてきた。

2005年秋のツクチェ・ピーク登山の折、カリ・ガンダキに沿うマルファという村に泊まった。
この村には慧海がチベット入りの最後の準備をした家が記念館として残されている。
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by nakatuminesan | 2010-06-27 08:52 | ヒマラヤ | Comments(0)

槍ヶ岳積雪期初登頂   

2010年 06月 26日

1922(大正11)年3月、慶応と学習院の合同パーティが積雪期の槍ヶ岳初登頂に成功した。
リーダーの槇有恒は前年9月、スイスアルプス・アイガー東山稜初登攀の快挙を成し、日本に本格的なアルピニズムを開花させる登山界のリーダー。
槇は後輩の学生たちを積雪期の槍ヶ岳に導いた。

パーティ編成は槇有恒、大島亮吉、佐藤久一朗、伊集院虎一、早川種三、佐藤文二、松方三郎、松方義雄、田中薫の9名に、人夫8名を加えた17名。
ルートは一ノ沢~常念小屋~一ノ俣~中山峠~二ノ俣~槍沢。
これが当時は一般的なものだった。
30日、登高を開始した一行は坊主ノ岩小屋にスキーをデポし、アイゼンに履き替えて登頂を果たした。
この山行は大正8年3月と10年4月に行われた、板倉勝宣の偵察と試登を基礎に計画・実行された。

登頂写真は左から早川種三、佐藤久一朗、大島亮吉、槇有恒
後には国内に及ばず海外でも活躍する、当時は全員20代のそうそうたる顔ぶれである。
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中山峠の手前で休憩する一行
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by nakatuminesan | 2010-06-26 10:28 | 昔むかし | Comments(0)

ブナ   

2010年 06月 25日

ブナと聞くと目の色が変わる人がいるそうです。
大木の情報があれば全国どこまでも出かけるとか。
たしかに山を歩いていてブナは魅力を持った木だと思います。
日本にはブナ(シロブナ)とイヌブナ(クロブナ)の2種類が自生し、イヌブナの葉はブナの葉よりもやや細長いとあります。
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北海道南部から鹿児島県高隈山まで分布し、屋久島には自生していません。
四国のほとんどの山では標高1000m近くになるとブナを見かけ始めます。

ブナの寿命は250年から300年というのが一般的です。
成長は非常に遅くて直径20cmで樹齢100年、150年目ぐらいが最も成長が盛んな時で、直径80cmは樹齢200年と聞いたことがあります。
成長の個体差はありますが、幹周3mとなると樹齢300年と推定していいように思います。
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四国では淡い新緑から緑濃い季節となりましたが、白神山地などはブナ原生林が芽吹いたばかりかと想像しています。

ブナの実
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新緑、紅葉、霧氷と楽しませてくれるブナです。
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by nakatuminesan | 2010-06-25 11:47 | 山のあれこれ | Comments(0)

ライチョウ(雷鳥)   

2010年 06月 23日

ハイマツ帯を生息の場としていて、イヌワシなどの天敵から身を守るため天気のいい日は姿を現さない。
よく見かけるのはガスで視界がきかない時である。
夏は褐色、冬は純白と季節によって羽毛の色が変化し、「ゲー」とか「グー」と蛙のような鳴き声に特徴がある。
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1年ほど前、白山(2702m)で約70年ぶりに国の特別天然記念物ライチョウが確認された。
採取した羽根のDNAを分析した結果、立山など北アルプスや南に続く乗鞍岳、御嶽山などに生息しているライチョウの主要グループと一致したそうで、70キロ以上離れた北アルプスから飛来した可能性が高いことが、石川県立大などの調査で分かっている。

ライチョウは北アルプスや南アルプスなど、ごく限られた山岳地に生息している。
2005年の調査によれば、新潟県頸城山塊の火打山と新潟焼山に約25羽、北アルプス朝日岳から穂高岳にかけて約2000羽、乗鞍岳に約100羽、御嶽山に約100羽、南アルプス甲斐駒ヶ岳から光岳にかけて約700羽が生息しているとみられることから、日本国内では約3000羽程度の生息が推測されている。
中央アルプスでは1960年代まで生息が確認されていたが、駒ヶ岳ロープウェイ開通後に絶滅したとみられ、八ヶ岳にもかつて生息していた記録がある。

氷河期が終わり温暖になると大半のライチョウは寒い北へ戻ったが、ごく一部が日本の高山に残った。
ライチョウは氷河期から命をつないでいる貴重な動物である。
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by nakatuminesan | 2010-06-23 10:08 | 山のあれこれ | Comments(0)

氷河湖   

2010年 06月 22日

氷河湖は氷河の後退によって、溶けた水がモレーン(堆石)に堰き止められてできた湖のことで、ヒマラヤやヨーロッパ、カナダなどにたくさん見られます。

氷河湖(左上)とマナスル氷河(右)
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小規模な氷河湖
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ところが氷河が融けることによってヒマラヤの氷河湖の貯水量が増え、決壊の危険性が危惧されています。
イムジャ氷河のイムジャ湖やロールワリン谷のツォーロルパが決壊すると、最も危険な土石流を起こす可能性がある氷河湖として警戒されています。
エベレストに近いイムジャ湖は1950年代には小さな水溜り程度だったそうで、原因は地球温暖化の影響だといわれている。

今年1月の国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「ヒマラヤの氷河が2035年までに消失する可能性が非常に高い」という衝撃的な記述は誤りだったことが判明したとはいえ、氷河が融けて減少傾向にあることは事実です。

中央右下がイムジャ湖 左奥はマカルー(8463m)
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イムジャ湖
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by nakatuminesan | 2010-06-22 10:46 | ヒマラヤ | Comments(0)

2010.6.20赤城尾山~行者山縦走   

2010年 06月 21日

降らずにいてほしい期待を裏切られ、雨具をつけてのスタートとなる。
県境稜線に上がると高知県側からの風に救われる思いがする。
今年は全般的に花が長持ちしているようで、オンツツジがまだ咲いている。
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晴れていれば崩壊地から甚吉森や湯桶丸の展望が得られるが、今日はあいにく乳白色の世界。
この縦走路にはシロヤシオがたくさん見られる。
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P1380m直下の急登を終えると赤城尾山はすぐそこ。
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秋には実をつけるサルナシ
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山頂から10分ほど下ると県境稜線は痩せ尾根となる。
直線距離で200mほどだが脆い岩のアップダウンは要注意箇所。
ヤマボウシが咲いています。
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“エ~あれを登るん?”と誰もが思ってしまう、痩せ尾根最後の岩場。
根っこがあるので見た目よりも楽に登れる。
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しばらく単調なアップダウンのあとは最後の登り100mで行者山に到着する。
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四つ足峠手前のスギ林
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四つ足峠の四つ足堂
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伐採地に出ると日和田は近い。
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ガスに隠れた行者山
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天候:ガス 小雨
駒背越トンネル徳島県側登山口7:30・・・7:45県境稜線・・・8:30P1283m・・・8:50崩壊地1300m9:00・・・9:40赤城尾山9:50・・・10:40P1346m・・・11:30行者山12:00・・・12:30P1201m・・・13:25四つ足峠13:35・・・14:40日和田

by nakatuminesan | 2010-06-21 09:47 | 山行報告(中級) | Comments(0)