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穂高合宿   

2017年 11月 30日

昭和45年と46年のGWに新人歓迎合宿が穂高でありました。
部報には「・・・新人の雪上訓練及び上級生のより一層の登攀技術の向上を目指して・・・」などとあります。
穂高合宿となればBCは涸沢か岳沢が思いつきますが、なぜか45年は横尾をBCとしています。
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久しぶりに部報を引っ張り出してきて、読むと若かりしころが懐かしく感じられます。

前穂北尾根のときなど奥穂の山頂から横尾まで3時間足らずですから、いかにシリセードが速いかが分かるというものです。
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ジャジャーン!前穂山頂です。
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東陵とか作線とか東稜と作戦なのに誤字が多いですね^-^;
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メシに湯をかけ朝食とし・・・なんて貧しい山岳部。

南岳東陵?は稜線に乗るまで緊張の連続だったことを覚えています。
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46年は涸沢をBCとしました。
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この年も前穂北尾根では先行パーティーのため時間待ちがあり、今も昔も人気のルートであったということでしょう。
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北尾根からの奥穂高岳。
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雪上訓練中のBCとはトランシーバーで交信しています。
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ジャンダルム
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滝谷四尾根登攀でも悪コンディションに時間待ちが加わって、完登を諦め暗闇の北穂沢を駆け下りBC着は夜の10時になりました。
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雪崩を起こしたりテントを燃やしそうなったり思い出深き涸沢合宿でした。
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河童橋
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by nakatuminesan | 2017-11-30 17:59 | 昔むかし | Comments(0)

幻の積雪期黒部横断   

2017年 11月 05日

半世紀前になる昭和30年代から40年代にかけ、積雪期における黒部川横断が盛んに行われていました。
山岳雑誌“岳人”の1968年三月号には白馬~剣岳の特集がありました。
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まだ山岳部現役だったころで黒部横断に興味があり、この記事を何度も読み返したものでした。
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20代のころ一度だけ積雪期の黒部横断を計画したことがあります。
単独ですから厳冬期では歯が立たず、というか単独黒部横断なんて敗退の確率が高いだけでなく、自殺行為にも似た山の掟破りであると思いました。
もう社会人でしたから時期はGWしか考えられず、ルートは鹿島槍ヶ岳~S字峡~ガンドウ尾根~剱岳の山中56泊でした。
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その下見として1972年のGWにバリエーション・ルートの天狗尾根から鹿島槍ヶ岳に登りました。
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このときアラ沢上部で起きたブロック雪崩で命を落としそうになったからか、翌年に予定していた黒部横断は幻の計画になってしまいました。

1973
年のGWは岳沢~西穂高沢~西穂高岳~ジャンダルム~奥穂高岳~直登ルンゼ~涸沢~上高地でした。
黒部横断に比べて楽な山を選んでしまいましたが、穂高大好き山屋としては諦めがつきました。

9
月の後立山縦走では幻の横断を思い出し、黒部へ下る鹿島槍ヶ岳牛首尾根の牛首山を眺めていました。
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そしてまた先日の下ノ廊下でも幻の横断が蘇り、このあたりに降り立つはずだったと考えながら東谷吊橋の辺りを見ていました。
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おまけ・・・ソラマメの芽が出ました。
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芽出たし目出度しメデタシ
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by nakatuminesan | 2017-11-05 18:21 | 昔むかし | Comments(0)

思い出深き黒部横断   

2017年 10月 30日

山岳部現役3年生だった20歳の初夏、リーダー養成山行なる計画が練られました。
メンバーは同期1
人に1年先輩を加えた3人パーティーです。
ルートは馬場島~小窓尾根~剱岳~仙人ダム~東谷山尾根~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳~扇沢でした。
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富山県から入山して黒部の谷を横断し、長野県に下山するのが面白いのではなく、バリエーションルートの小窓尾根と五竜岳東谷山尾根に興味が湧いたからでした。
時期としては残雪多い4月末から5月上旬が楽ですが、残雪に期待できない6月中旬に実施されました。
GWは涸沢合宿だったと思います。

すでに入梅していたので白萩川は増水し、ザイルを張って渡渉に成功しました。
ちょっとした岩場はありましたが順調に小窓尾根を片付けて、小窓ノ王に迫る直前にアクシデントが起きました。
先輩が目の前から姿を消しました。

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月とはいえ豪雪地帯の剱岳小窓尾根ですから雪稜になっていました。
雪は降り続く雨で氷化した状態でした。
それなのに何故だかアイゼンを装着していなく、スリップして小窓雪渓側に滑落したのです。
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斜度は40度ぐらいあったと思います。
ガスで下の様子はまったく分かりません。
大声で呼んでも返事はなく死んだものだと思いました。

すぐさまアイゼンを付けて下降を開始したところ、100mぐらい降りたあたりで先輩の声がしました。
信じられないことにかすり傷ひとつありませんでした。

無事を喜びながら反省の気持ちがいっぱいで、すでに剱岳に向かう気はありませんでした。
雪原の中に立つ無人の池ノ平小屋に泊まりました。

翌日は雪の詰まった仙人谷を下り仙人ダムに着きました。
今は雲切新道なるルートになっているようですが、当時は
阿曾原峠を通るのが仙人ダムへのルートでした。
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ダムには昼までに着きましたが、明日からの苦戦を考えて休養としました。

五竜岳東谷山尾根は当然ながら道などはなく、ヤブに始まりスズタケ漕ぎの連続でした。
標高が上がるとびっしりのハイマツ漕ぎに消耗し、ついに東谷山の手前でビバークになりました。

五竜岳登頂のあとは快調に鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳を越え、
種池山荘の手前から扇沢を下降しました。
谷は大きく崩壊した残雪の塊りがあり、雪壁登攀だとか言いながら遊びました。

先日の下ノ廊下で東谷山尾根に取り付いた場所を思い出そうとしましたが分かりませんでした。
尾根末端は紅葉真っ盛りでした。
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阿曾原温泉小屋からひと登りした所からは東谷山と五竜岳が眺められ、47年前の苦労した山が思い出されました。
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また9月の後立山南部縦走では剱岳がよく眺められ、先輩には失礼ながら滑落した場所に見入っていました。
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当時の写真を探しましたが3枚しかありません。

雪がないので小窓尾根中間地点でしょう。
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仙人谷上部だと思います。
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五竜岳山頂だと思います。
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梅雨時だというのに雨にも負けることなく連日行動し、今でも忘れられない山中6泊の黒部横断山行でした。











by nakatuminesan | 2017-10-30 18:50 | 昔むかし | Comments(0)

転付(でんつく)峠   

2017年 10月 21日

峠はるかに重荷にあえぎ あい見る山は北岳の峰よ♪…とは学生時代よく歌った「北岳の歌」です。
はるかに越える峠は夜叉神峠であっただろうと思われます。

はるかに越える峠は転付峠とて同じだったはずで、古い岳人たちは重荷にあえいで峠に立ち、荒川岳や赤石岳など南アルプス南部の峰々に心を打たれたのでしょう。
昔は早川から大井川上流へ至る道はいくつもあったそうです。
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いくつかあったルートですが人の行き来が減り、現在では付峠を越えるルートが唯一となっています。
しかし大井川上流に東俣林道が開設され、二軒小屋までリムジンバスが通るようになって以来、早川側からの登山者の姿は減っていると聞きます。
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静岡・山梨県境にある標高約2000mの峠付近には富士山の眺めが抜群の展望台があるらしく、悪沢岳や赤石岳にはじまり聖岳や上河内岳なども一望できるそうです。

それにしても
転付峠とは山屋の心に響く名前だと思ってしまいます。

一度だけ越えたことがあります。

昨日の続きのようになってしまいますが・・・
それは49年前になる初冬の茶臼岳~聖岳~赤石岳~荒川岳~塩見岳縦走の時でした。
すでに標高2500m以上には雪がきていて、赤石岳では30センチの積雪になっていました。
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最終ピークの塩見岳から長い蝙蝠尾根を下りました。
降り立った日没の二軒小屋付近でビバークし、翌日は標高差500mを登り返して転付峠に立ちました。
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49年も前になる1968113日のことで、岳友と二人で歩いた一週間の山旅でした。
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昔はこんなキスリングザックを背負っていました。

ん? そんなことより人相が悪いって!?^-^;

石柱には左 二軒小屋ヲ経テ赤石方面ニ至 右 新倉ヲ経テ西山身延方面ニ至 と彫られています。
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新倉へ出る内河内川沿いは季節からすると紅葉が綺麗だったはずですが、いくら半世紀も昔とはいえ記憶がまったくありません。

あの
松濤明は昭和15年に転付峠を越えていて、風雪のビバークには“春の遠山入”として記されています。
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by nakatuminesan | 2017-10-21 15:59 | 昔むかし | Comments(4)

蘇る青春の山旅   

2017年 10月 15日

先日の白峰三山縦走は天気に恵まれただけでなく、半世紀も前を懐かしく思い出してしまう山になりました。
それは
山岳部現役1年生だった18歳の秋、同期4人による個人山行での南アルプス北部縦走でした。
鳳凰三山~甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳~白峰三山と少し欲張った計画でした。

1
日目・・・夜叉神峠から入山して薬師岳あたりでツェルトビバークする。
いきなり夜中に豪雨となり全身びしょ濡れネズミ。

2
日目・・・濡れ物を乾かしているうちに出発が午後になり、鳳凰三山を終わらせ無人となった早川尾根小屋で泊まる。

農鳥岳からの鳳凰三山
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3日目・・・アサヨ峰を越えて栗沢山から急降下した仙水峠から甲斐駒ヶ岳をピストンし、北沢峠で各自ツェルトは張らずに被って星空天井とする。
ここで昔から有名だった“北沢峠のオバケ”を体験する⇒⇒2011629日の記事を参考に。

小太郎尾根からの甲斐駒ヶ岳
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4日目・・・仙丈ヶ岳を越えて仙塩尾根(昔から馬鹿尾根と呼ばれていた)を辿る。
横川岳を過ぎたところから野呂川に下り、掘っ立て小屋みたいな無人の両俣小屋で泊まる。

小太郎尾根からの仙丈ヶ岳
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5日目・・・天気はいいのに何故か停滞してしまい、日向ぼっこや河原で遊んで過ごす。
夜はそのへんの雑草を入れたオジヤで腹は満たされました。
当時の食料といえば米と味噌だけは多量に持っていて、贅沢なまぐろフレーク缶など時たま口に入る程度の粗末な食事でした。

6
日目・・・左俣沢から中白根沢の頭を越え北岳に立つ。

先日の山行で両俣小屋の標識を見たときは懐かしく思いました。
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間ノ岳から下った農鳥小屋付近でツェルトビバークする。
えらく水場が遠かったように覚えています。

7
日目・・・農鳥岳を越えて広河内の谷に降り、奈良田に下山して1週間の山が終わりました。

農鳥岳からの北岳と間ノ岳
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現在の広河内には堰堤が多数ありますが当時は何もありませんでした。
広い河原に大きなクラックのある大岩があり、チムニー登りをしたことが思い出になっています。
探しましたが発破で破砕されたのか大岩はありませんでした。
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by nakatuminesan | 2017-10-15 12:23 | 昔むかし | Comments(0)

ステーションビバーク   

2017年 08月 09日

ビバークのことは201110月に書きました。
フォーストビバークは緊急時・予定外に行うビバークで、フォーカストビバークは登山計画の中に折り込み済みの予定されたビバークです。

ステーションビバークと駅で寝ることで、知っているのは古い山屋さんぐらいのものでしょう。
つまり駅の待合室のベンチや軒先で寝袋に入って眠ることです。

昔は大きな顔をして駅で寝て、これ以上安上がりの宿はありませんでした。
合宿が終わると残りの食料をもらって風呂に入り、単独や個人山行など次の山のために
ステーションビバークは合理的でした。
つまり金が一切かからない宿泊先だったのです。
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松本駅、大糸線の信濃大町駅、飯田線の駒ヶ根駅、中央本線の甲府駅など。

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by nakatuminesan | 2017-08-09 15:26 | 昔むかし | Comments(0)

滝谷第四尾根   

2017年 07月 24日

元々高いところは苦手で岩登りは下手くそだった。
今になって壁屋ではなく尾根屋でよかったと思っているし、岩の壁を攀じる行為なんて危険極まりないと思っている。
滝谷第四尾根は尾根と呼ばれているが岩登りのルートであり、北岳バットレス第四尾根と同じように雪の時期にも攀じたことがある。

時たま昔の写真を出してきては笑ってしまうことがある。
これは滝谷第四尾根の確かBカンテだと記憶しています。
斜度は45度ぐらいなので両足のフリクション(英語で摩擦です)で攀じ登ります。
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滝谷第四尾根には確かいくつかのカンテがあった。
カンテとはドイツ語で「
岩のとがった角」とか「岩壁の稜角」とかの意味であり、リッジは英語で「岩稜」らしいから山の用語は難しい。

これは滝谷の写真です。
写っているのはクラック尾根や第一尾根などで、面白い
第四尾根は隠れて見えません。
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Bカンテはそう難しいピッチではなくⅢ級程度だったかな? 
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みなでワイワイガヤガヤ大笑いしながらでした。

若いときの自由で気楽な個人合宿ほど面白かったことはありません。
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by nakatuminesan | 2017-07-24 14:40 | 昔むかし | Comments(0)

何度も通った乗鞍岳   

2017年 03月 15日

乗鞍岳に山スキーヤーやボーダーが増えたのは10年前ぐらいからでしょうか。

初めての乗鞍岳山スキー行は40年ほど前になります。
あのころは山スキーをする人と会うことはありませんでした。
いつも向かうのは厳冬期だったこともありますが、3月でも今のように多くの人で賑わうことはなかったと思います。

位ヶ原の標高2450m付近にはダケカンバがたくさんあります。
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若い頃は何度かツェルトビバークしたことがあり、通るたびに酷寒の夜を過ごしたことを思い出します。
これは30年以上も前の写真で、肩ノ小屋手前で強風に追い返されたときだったと記憶しています。
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朝日岳でだったか登山者に写してもらいました。
ウェアはナイロンのヤッケとオーバーズボンです。
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正月だったので穂高岳など白さが3月とは比べものになりません。

これは先日の写真です。
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もう一度ぐらいは厳冬の乗鞍岳に立ちたいと思ったりしています。

by nakatuminesan | 2017-03-15 19:05 | 昔むかし | Comments(0)

富士山合宿   

2017年 03月 04日

先日の大山1泊山行では突風に対する耐風姿勢をやりました。
ちょっと遊び半分ではありましたが、こんなことも冬山の知識として覚えてほしいという意味でした。

山岳部時代は冬山を前にした富士山合宿が恒例でした。
45年も前になる古い写真が登場します。
冬山を前にした富士山での訓練風景です。
アイゼン歩行と滑落停止を徹底してたたき込まれました。
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滑落停止に失敗すると止めることは難しい固雪やアイスバーンだったので、ちゃんとザイルで確保しながら真剣にやっていました。
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これはゴリラです・・・一年生のとき。
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これは三年生のときだから生意気になっていて、ダウンのミトンでピッケルを握って立っている。
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突風に飛ばされることを想定した頭から滑落なんかもやりました。
今では懐かしい思い出になりました。

by nakatuminesan | 2017-03-04 18:39 | 昔むかし | Comments(2)

南八ヶ岳の思い出   

2017年 02月 20日

厳冬期南八ヶ岳縦走ぐらい強烈な記憶はありません。
それは19歳になったばかりの冬山駆け出しのころでした。

2010年12月22日の記事にしましたが、あれほど厳しい冬山の経験は後にも先にもありません。
それは天狗岳~硫黄岳~横岳~赤岳~権現岳~編笠山で、岳友と二人での本格的な冬山縦走でした。
新人二人で厳冬の南八ヶ岳をやると言えば止められるのは確実で、もちろん先輩たちには内緒で行ったものでした。

先日の八ヶ岳山行では厳冬期とは思えない穏やかな天気になりました。
硫黄岳からは一座目の天狗岳が眺められ、横岳から赤岳へ続く稜線も穏やかに映りました。
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先日は日ノ岳南面のルンゼ状は雪が安定していました。
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あの時は猛烈な風雪での行動だったので雪崩の恐れがありました。
無事に通過してリッジに出る手前の岩陰でツェルトを被り休憩したことを思い出していました。
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マイナス25度という寒気に加え風速は20mを超えていて、凍った鼻水で目出帽はカチカチになってしまいました。
手足の指に感覚はなく顔面には凍傷を負いました。

今だと山に入らない天候でした。
入っていれば停滞するのが当然のことなのに、思い返しても大胆な行動をしたものです。
山の姿を見ることのなかった強行突破の3日間でした。

今では記憶は薄れてきましたが・・・
①硫黄岳では小石が真横に飛ぶのを見ました。
②赤岳の下りで岳友がシリセードに失敗し、当時出回り始めた新型アイゼンが壊れました。
③キレット小屋では興奮で眠れず、盛大に薪を燃やして朝まで過ごしました。
④編笠山の下りは永遠に続くかと思えるほど長く、小淵沢の町灯りが見えたときの嬉しかったこと。
⑤初めて経験する凍傷が嬉しくて、勲章をもらったように得意になっていました。

先日は当時を思い出しながらの縦走だったこともあり、最高峰である赤岳の山容は優しく迎えてくれるように感じられました。
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by nakatuminesan | 2017-02-20 17:24 | 昔むかし | Comments(0)