カテゴリ:昔むかし( 117 )   

ステーションビバーク   

2017年 08月 09日

ビバークのことは201110月に書きました。
フォーストビバークは緊急時・予定外に行うビバークで、フォーカストビバークは登山計画の中に折り込み済みの予定されたビバークです。

ステーションビバークと駅で寝ることで、知っているのは古い山屋さんぐらいのものでしょう。
つまり駅の待合室のベンチや軒先で寝袋に入って眠ることです。

昔は大きな顔をして駅で寝て、これ以上安上がりの宿はありませんでした。
合宿が終わると残りの食料をもらって風呂に入り、単独や個人山行など次の山のために
ステーションビバークは合理的でした。
つまり金が一切かからない宿泊先だったのです。
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松本駅、大糸線の信濃大町駅、飯田線の駒ヶ根駅、中央本線の甲府駅など。

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by nakatuminesan | 2017-08-09 15:26 | 昔むかし | Comments(0)

滝谷第四尾根   

2017年 07月 24日

元々高いところは苦手で岩登りは下手くそだった。
今になって壁屋ではなく尾根屋でよかったと思っているし、岩の壁を攀じる行為なんて危険極まりないと思っている。
滝谷第四尾根は尾根と呼ばれているが岩登りのルートであり、北岳バットレス第四尾根と同じように雪の時期にも攀じたことがある。

時たま昔の写真を出してきては笑ってしまうことがある。
これは滝谷第四尾根の確かBカンテだと記憶しています。
斜度は45度ぐらいなので両足のフリクション(英語で摩擦です)で攀じ登ります。
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滝谷第四尾根には確かいくつかのカンテがあった。
カンテとはドイツ語で「
岩のとがった角」とか「岩壁の稜角」とかの意味であり、リッジは英語で「岩稜」らしいから山の用語は難しい。

これは滝谷の写真です。
写っているのはクラック尾根や第一尾根などで、面白い
第四尾根は隠れて見えません。
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Bカンテはそう難しいピッチではなくⅢ級程度だったかな? 
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みなでワイワイガヤガヤ大笑いしながらでした。

若いときの自由で気楽な個人合宿ほど面白かったことはありません。
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by nakatuminesan | 2017-07-24 14:40 | 昔むかし | Comments(0)

何度も通った乗鞍岳   

2017年 03月 15日

乗鞍岳に山スキーヤーやボーダーが増えたのは10年前ぐらいからでしょうか。

初めての乗鞍岳山スキー行は40年ほど前になります。
あのころは山スキーをする人と会うことはありませんでした。
いつも向かうのは厳冬期だったこともありますが、3月でも今のように多くの人で賑わうことはなかったと思います。

位ヶ原の標高2450m付近にはダケカンバがたくさんあります。
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若い頃は何度かツェルトビバークしたことがあり、通るたびに酷寒の夜を過ごしたことを思い出します。
これは30年以上も前の写真で、肩ノ小屋手前で強風に追い返されたときだったと記憶しています。
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朝日岳でだったか登山者に写してもらいました。
ウェアはナイロンのヤッケとオーバーズボンです。
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正月だったので穂高岳など白さが3月とは比べものになりません。

これは先日の写真です。
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もう一度ぐらいは厳冬の乗鞍岳に立ちたいと思ったりしています。

by nakatuminesan | 2017-03-15 19:05 | 昔むかし | Comments(0)

富士山合宿   

2017年 03月 04日

先日の大山1泊山行では突風に対する耐風姿勢をやりました。
ちょっと遊び半分ではありましたが、こんなことも冬山の知識として覚えてほしいという意味でした。

山岳部時代は冬山を前にした富士山合宿が恒例でした。
45年も前になる古い写真が登場します。
冬山を前にした富士山での訓練風景です。
アイゼン歩行と滑落停止を徹底してたたき込まれました。
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滑落停止に失敗すると止めることは難しい固雪やアイスバーンだったので、ちゃんとザイルで確保しながら真剣にやっていました。
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これはゴリラです・・・一年生のとき。
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これは三年生のときだから生意気になっていて、ダウンのミトンでピッケルを握って立っている。
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突風に飛ばされることを想定した頭から滑落なんかもやりました。
今では懐かしい思い出になりました。

by nakatuminesan | 2017-03-04 18:39 | 昔むかし | Comments(2)

南八ヶ岳の思い出   

2017年 02月 20日

厳冬期南八ヶ岳縦走ぐらい強烈な記憶はありません。
それは19歳になったばかりの冬山駆け出しのころでした。

2010年12月22日の記事にしましたが、あれほど厳しい冬山の経験は後にも先にもありません。
それは天狗岳~硫黄岳~横岳~赤岳~権現岳~編笠山で、岳友と二人での本格的な冬山縦走でした。
新人二人で厳冬の南八ヶ岳をやると言えば止められるのは確実で、もちろん先輩たちには内緒で行ったものでした。

先日の八ヶ岳山行では厳冬期とは思えない穏やかな天気になりました。
硫黄岳からは一座目の天狗岳が眺められ、横岳から赤岳へ続く稜線も穏やかに映りました。
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先日は日ノ岳南面のルンゼ状は雪が安定していました。
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あの時は猛烈な風雪での行動だったので雪崩の恐れがありました。
無事に通過してリッジに出る手前の岩陰でツェルトを被り休憩したことを思い出していました。
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マイナス25度という寒気に加え風速は20mを超えていて、凍った鼻水で目出帽はカチカチになってしまいました。
手足の指に感覚はなく顔面には凍傷を負いました。

今だと山に入らない天候でした。
入っていれば停滞するのが当然のことなのに、思い返しても大胆な行動をしたものです。
山の姿を見ることのなかった強行突破の3日間でした。

今では記憶は薄れてきましたが・・・
①硫黄岳では小石が真横に飛ぶのを見ました。
②赤岳の下りで岳友がシリセードに失敗し、当時出回り始めた新型アイゼンが壊れました。
③キレット小屋では興奮で眠れず、盛大に薪を燃やして朝まで過ごしました。
④編笠山の下りは永遠に続くかと思えるほど長く、小淵沢の町灯りが見えたときの嬉しかったこと。
⑤初めて経験する凍傷が嬉しくて、勲章をもらったように得意になっていました。

先日は当時を思い出しながらの縦走だったこともあり、最高峰である赤岳の山容は優しく迎えてくれるように感じられました。
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by nakatuminesan | 2017-02-20 17:24 | 昔むかし | Comments(0)

今日はなんの日?   

2017年 01月 07日

昭和の初期に記録的な冬山単独登山を展開した加藤文太郎。
特に昭和5年12月30日からの薬師岳から烏帽子岳縦走は当時の登山界を驚かせました。
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山に入って9日目の昭和6年1月7日の夜11時に下山しています。
単独行から・・・
濁の小屋には莚が三枚と畳があるだけで、寝るには寒いので、対岸にある、東信電力の金原氏のところに行って泊めてもらう。
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濁の小屋は烏帽子岳登山口付近にありましたが、今では高瀬ダムの湖底に沈んでいます。
それにしても驚かされるのは文太郎の大胆な行動で、当時の粗末な装備による記録は信じられない思いがするのです。
今の装備をしてパーティーを組んだとしても、そう簡単に走破できる縦走ルートではありません。
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今日は加藤文太郎が風雪の北アルプスから無事下山した日です。
今から86年前のことになります。

加藤文太郎記念図書館には彼が愛用した山の装備がガラス棚に展示されています。 
登山靴・ピッケル・ワカン
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山スキー板
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特に目を引くのが登山靴です。
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おまけは今日の日峯と小神子海岸で、近くまで行ったついでに歩きました。
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山に白いものはない
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これなに?
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二等三角点がある遠見ヶ原191.6m
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海~!
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小神子ジャンダルムなんちゃって^-^;
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晩酌のアテ
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ピーヒョロ~
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by nakatuminesan | 2017-01-07 15:23 | 昔むかし | Comments(0)

恒例だった年越し単独行   

2016年 12月 19日

若い頃は北アルプスで新年を迎えるのが当たり前でした。
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12月になれば行き先は決まっていて、装備の点検と食料計画も終わっていました。
あとは山へ入る日を待つだけでした。
しかし気持ちは次第に憂鬱になり、重苦しい日々を過ごしました。
パーティー登山ではないんだから、やめてゲレンデスキーにでも変更しようかと思ったこともありました。

その理由は単独行の重圧だったのだと思います。
出発の日がきてザックを背負いピッケルを持つことで、その重圧から開放されたことを思い出します。
体力気力ともに充実していた若かりし40年前でした。
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それでも冬山の厳しさと恐さは知っていたつもりで、行動は大胆かつ慎重だったと思っています。
厳冬の槍ヶ岳に立ったのは22年も前のことになってしまいました。
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おまけは今日の中津峰山。

高気圧に覆われ青空がいっぱい。
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秋が残っていました。
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こちらは冬衣装
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駐車場には車が何台か停まっていたのに山頂には誰もいませんでした。
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頑張り屋
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無事下山~♪
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おまけのオマケ・・・トム君10歳の誕生日
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by nakatuminesan | 2016-12-19 15:18 | 昔むかし | Comments(0)

懐かしの烏帽子岳から水晶岳   

2016年 09月 07日

46年ぶりに裏銀座の一部である烏帽子岳から水晶岳を歩きました。
そして以前から登りたいと思っていた赤牛岳にも登頂でき、涼しい初秋の風を感じられる快適山行となりました。
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いつも頭にあるのは加藤文太郎のことで、今回も烏帽子岳から水晶岳まではそうでした。
昭和5年の暮れから6年の正月にかけ、薬師岳から烏帽子岳を単独縦走しているからです。
単独による長距離縦走は文太郎が初めて成し遂げ、当時の登山界を驚かせた真似のできない快挙でした。
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当時は水晶小屋と野口五郎小屋はなく、三俣小屋から烏帽子小屋まで19時間行動で踏破しています。
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野口五郎小屋から烏帽子小屋まで悪場はないとはいえ、大胆にも月明かりで歩くあたりは孤高の人。
あの大岩を見ただろうかとか、この岩角に触れただろうかと文太郎を偲びながら歩きました。
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先日は野口五郎小屋の手前で休憩し、文太郎が休んだという窪地を探したりしました。
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その場所は見つけることは出来ませんでした。

水晶小屋から東沢乗越までの稜線は痩せた箇所が多く、ワリモ沢側は物凄かったとあります。
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それは地形図からも読み取れるし、まだ積雪の少ない正月であれば悪場だったと思われます。
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文太郎もスキーと荷物を別々に運んで苦労した様子が書かれています。

水晶岳から赤牛岳までは緩やかな稜線の連続で、野口五郎岳から烏帽子岳の展望台といってもよい素敵な縦走路でした。
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満月に照らされた雪山歩きをしてみたいと思ってしまいます。

by nakatuminesan | 2016-09-07 17:36 | 昔むかし | Comments(0)

手作り装備   

2016年 08月 28日

手作りシュラフカバーのことを書いたところ、骨董品屋さんからコメントがありました。

これでも顔に似合わず器用なところがあり、若いころは夏山用のズボン(ニッカー)なんかも手作りでした。
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綿か化繊だったか覚えていませんが、安物のズボンを膝下で切って紐を通せば出来上がりました。

背景は北穂高岳滝谷ドーム岩壁です・・・若いでしょう!?
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ついでに古い写真が登場します。
これは春合宿で通過した3月の不帰Ⅱ峰北峰で、もう45年もの大昔になる懐かしい写真です。
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先日の白馬三山~唐松岳縦走では簡単だった場所ですが、キノコ雪状態になっていてザイルを使用して通過しました。

八方尾根から眺める不帰Ⅱ峰は台形状で、右が北峰で左が南峰と呼ばれています。
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当時のウェアはナイロン製のヤッケとオーバーズボンでした・・・手作りではありません。
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写真からすると天気のいい日に不帰キレットを越えたことがわかります。

孤高のライチョウ
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by nakatuminesan | 2016-08-28 16:36 | 昔むかし | Comments(0)

加藤文太郎が山へ向かっていたころ(続き)   

2016年 07月 06日

バリエーション・ルートの開拓と並行して、1930(昭和5)年ごろから積雪期の北アルプス縦走も盛んになっていた。
積雪期における槍ヶ岳から奥穂高岳の初通過は1931(昭和6)年3月の慶大隊であるが、北穂高岳と涸沢岳の間は稜線を外し巻いている。
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立大隊は31年暮れから32年1月にかけ、槍ヶ岳から奥穂高岳を稜線通しに踏破した。 

また少し遅れて学習院大が槍ヶ岳から西穂高岳の縦走を成功させている。
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またしても脱線してしまいますが単独行から・・・
1929年(昭和4)4月1日
奥穂の岩場のちょっとしたところが登れなかったので、唐沢岳へ登ってみる。
(中略)横尾の岩小屋に八高出身の桑田氏がいたので泊めてもらう。
4月2日桑田氏が奥穂へ登るというので連れて行ってもらう。
奥穂の岩場でちょっと参ったが、同氏の切ったステップを辿ってやっと登った。

白出コル上の岩場だと容易に想像でき、当時は今のように鉄ハシゴは設置されていなかったのだろう。
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「桑田氏」とは桑田英次のことであり、東大時代はあの天才クライマー小川登喜男と組んで、困難とされた数々の初登攀を成し遂げた人物である。

大きなニュースとして1930(昭和5)年1月9日、東大生4名と案内人2名が剱沢小屋もろとも雪崩に埋没した。
最後に一行と出会い会話を交わしたのが加藤文太郎だった。
単独行には「一月の思い出」で残されている。
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1934(昭和9)年4月の前穂北尾根は岩の技術が求められ、文太郎は単独ではなくザイルパートナーを伴っている。
そのパートナーと風雪の北鎌に散ったことが残念に思われる。

山岳小説「孤高の人」ではヒマラヤ貯金をしていた文太郎であるが、事実はどうだったのか興味深いことである。
その文太郎が逝って9ヵ月後の1936(昭和11)年10月5日、立教大学山岳部隊がナンダ・コット6867m(ガルワール・ヒマラヤ)の頂に立ち、日本人初のヒマラヤ登頂を飾っている。
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・・・2010.7.4の記事を参考に。

by nakatuminesan | 2016-07-06 13:19 | 昔むかし | Comments(0)