転付(でんつく)峠   

2017年 10月 21日

峠はるかに重荷にあえぎ あい見る山は北岳の峰よ♪…とは学生時代よく歌った「北岳の歌」です。
はるかに越える峠は夜叉神峠であっただろうと思われます。

はるかに越える峠は転付峠とて同じだったはずで、古い岳人たちは重荷にあえいで峠に立ち、荒川岳や赤石岳など南アルプス南部の峰々に心を打たれたのでしょう。
昔は早川から大井川上流へ至る道はいくつもあったそうです。
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いくつかあったルートですが人の行き来が減り、現在では付峠を越えるルートが唯一となっています。
しかし大井川上流に東俣林道が開設され、二軒小屋までリムジンバスが通るようになって以来、早川側からの登山者の姿は減っていると聞きます。
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静岡・山梨県境にある標高約2000mの峠付近には富士山の眺めが抜群の展望台があるらしく、悪沢岳や赤石岳にはじまり聖岳や上河内岳なども一望できるそうです。

それにしても
転付峠とは山屋の心に響く名前だと思ってしまいます。

一度だけ越えたことがあります。

昨日の続きのようになってしまいますが・・・
それは49年前になる初冬の茶臼岳~聖岳~赤石岳~荒川岳~塩見岳縦走の時でした。
すでに標高2500m以上には雪がきていて、赤石岳では30センチの積雪になっていました。
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最終ピークの塩見岳から長い蝙蝠尾根を下りました。
降り立った日没の二軒小屋付近でビバークし、翌日は標高差500mを登り返して転付峠に立ちました。
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49年も前になる1968113日のことで、岳友と二人で歩いた一週間の山旅でした。
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昔はこんなキスリングザックを背負っていました。

ん? そんなことより人相が悪いって!?^-^;

石柱には左 二軒小屋ヲ経テ赤石方面ニ至 右 新倉ヲ経テ西山身延方面ニ至 と彫られています。
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新倉へ出る内河内川沿いは季節からすると紅葉が綺麗だったはずですが、いくら半世紀も昔とはいえ記憶がまったくありません。

あの
松濤明は昭和15年に転付峠を越えていて、風雪のビバークには“春の遠山入”として記されています。
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by nakatuminesan | 2017-10-21 15:59 | 昔むかし | Comments(4)

Commented by おじいさん@丸亀市 at 2017-10-21 22:04 x
いつも楽しく拝見させてさせて頂いています。
懐かしい名前が連続で出てきましたので、コメント欄をお借りします。

学生時代真っただ中の昭和44・45年ごろ転付峠経由であったり、椹島経由で西俣へ入りさらに奥の小西俣にBCを張り周辺を歩いていました。
当時WV部員女性を含み50名ほどだったと思いますが、30キロ前後のキスリングを背負い大行列でした。

小西俣からは塩見岳や悪沢岳をピストンしながら1週間ほど過ごし、その後は北岳方面や赤石方面に数グループに分かれ縦走していました。
そんな時、塩見岳から蝙蝠岳経由で二軒小屋近くの西俣へ下り夜遅くにBCへ帰ったようなこともありました。
また悪沢岳への途中の魚無沢では、のちに岩崎元氏が言っているようにキスリングや衣類などが沢沿いに散らばり遭難事故の生々しい跡も見たような記憶もあります。
さらに転付峠へは椹島から笊が岳へ上がり尾根沿いに歩いたことも。

当時の写真はほとんどなく寄る年波で記憶力も徐々に↓↓なので、懐かしい写真を拝見させて頂きました。
一緒に歩いた仲間の中にはもうあの世へ行っているものもおり、おそらくもう二度とあの山域に入れることはないと思いますが、昔の思い出を掘り出して頂きありがとうございます。
Commented by nakatuminesan at 2017-10-22 08:53
昔を懐かしく思い出すコメントをありがとうございます。
たしか2012年8月29日の記事“偉大なる岳人たちの足跡”にもコメントしてくれましたね。

昭和40年代前半となれば半世紀前になりますが、あの当時は全員がBC定着で行動したり、その後は各方面に縦走するのが流行っていたように覚えています。

小西俣にBCを張ってとなれば、自然に溶け込んだ羨ましい山だと思います。
特に南アルプス南部がお気に入りだったのでしょうね。

魚無沢にはじまり雪投沢とか蝙蝠尾根など、古い山屋にとっても心惹かれてしまいます。

最近は笊ヶ岳から転付峠への縦走に興味が湧いています。
Commented by おじいさん@丸亀 at 2017-10-22 21:19 x
ご指摘の以前のコメントを再確認しました。
ころっと忘れていましたが、仰せの通りですね。
再コメントしましたのは、先ほどの以前のコメントと今回のコメントで年代が異なっていたので再確認しましたが両方とも間違っていて正解は昭和40・41年でした。
年を取ると記憶が急激に???になりますね。

当時は南アルプス南部の自然豊かさに何故か気に入っていました。
その延長線上で、昭和42年の「NHK自然のアルバム」の取材サポートで夏・秋二回ほどアルバイトをしたこともありました。
夏は茶臼小屋・聖小屋、秋は三伏峠小屋でそれぞれ十日間ほど野鳥の会の方と一緒に手伝いました。
といっても、撮影用の大量のバッテリー・フィルムと大きな三脚等の機材の運搬、及び当時の小屋は無人だったので皆の三食作りがメインの仕事でした
この時はカメラマンのご厚意で我々バイト仲間がキスリングを背負って稜線を歩いているシルエットを全国放映してくれました。

笊が岳~転付峠 今はどうなっているか解りませんが、当時は三日間ほど誰にも会わない静かな山歩きでした。
でも、この時同行した一歳下の仲間も昨年旅経って行きました。
Commented by nakatuminesan at 2017-10-23 16:43
昭和40年といえば山を始めたころで、阿波の山というガイドブックを片手に歩いていました。
山小屋でのアルバイトは良き思い出になっているようですね。
何故か山小屋で働いたことがなく、少し心残りに感じないでもありません。

南アルプス南部は北アルプスに比べると人が少なくて、今でも静かな山を味わえると思っています。
49年前になる山行は季節が初冬だったこともあり、誰にも会わなかったと記憶しています。
もう一度あの転付峠に立ってみたいだけでなく、まだ登ったことのない笊ヶ岳と組み合わせると面白そうです。

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