懐かしの南八ヶ岳   

2016年 02月 18日

先日の南八ヶ岳では好天に恵まれたこともあり、主峰ともいえる赤岳と阿弥陀岳に登頂できました。

厳冬の南八ヶ岳には強烈な思い出があり、それは現役冬山一年生の南八ヶ岳縦走です。
マイナス25度という寒気に耐えながら、岳友と2人による天狗岳~硫黄岳~横岳~赤岳~権現岳~編笠山縦走(3泊4日)でした。
普通なら山に入らないか停滞続きの荒天が続きましたが、10代という若さゆえの山でしかなかったと考えています。

そのときの様子は2010年12月22日の記事に書きましたけど、あれほどの寒さはその後の冬山で経験することのない厳しいものでした。

天望荘からの赤岳
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厳冬の南八ヶ岳となれば加藤文太郎に登場を願わなければなりません。
それは昭和4年1月3日の硫黄岳から赤岳の冬山行で、文太郎にとり本格的な冬山デビューだったからです。

単独行から・・・
「硫黄岳の頂きで初めて見た冬山の大観。
それは僕には一生忘れることのできない一大驚異であった。
頂きはとても寒いので長く立ってはいられぬ。
急いで横岳へ向かう。
硫黄岳と横岳の鞍部では風のため二、三度投げ出された。
顔と手の寒いことよ。
(中略)顔と手は皮の物を使わなければ駄目らしい。
(中略)そして午前十一時十分憧れの頂に立った。
三年前の九月一日に権現岳からここへやってきたとき、一月などにこの頂きに立てようとは夢にも思わなかったが、何と幸運なことだろう。
(中略)さあベルグハイルを三唱しよう、歌も唄おう、周囲の山をもう一度ゆっくり眺めよう。」

このときは快晴という条件に恵まれたこともあるが、単独による赤岳登頂は立派な記録である。
登頂の喜びが伝わってくる表現には感動さえ覚えるのである。

文太郎23歳という若者のときであり、私が冬山単独行に傾いていった歳でもある。
初めて厳冬の赤岳に立ったのは47年前であり、文太郎はさらに40年も前のことである。

山頂で思うことは今と比べて貧弱な装備で登った文太郎のことであった。
今から87年もの前に立っていた文太郎を偲ぶだけで満足であった。
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文太郎が立った峰や岩稜をじっくり眺められのは、先日の阿弥陀岳山頂が最もよい場所であった。

硫黄岳
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横岳
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赤岳
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若いころ厳冬の北アルプスにはよく出かけたが、南八ヶ岳全山単独縦走を試みなかったのはなぜだろう。

by nakatuminesan | 2016-02-18 13:31 | 昔むかし | Comments(0)

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