極地法   

2015年 01月 08日

極地法とは初期の南極や北極探検に用いられたPOLAR SYSTEMあるいはPOLAR METHODと呼ばれる方法である。

ベースキャンプ(基地)から次々に前進キャンプ(拠点)を設営しながら進み、各キャンプ間を往復して食糧や装備などの物資を運び、最後にアタック隊を出して目標に達したのち全員がベースキャンプに戻る。

これを最初に登山に用いたのは1922年、イギリスの第二次エベレスト登山隊だった。
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何度もエベレスト隊を送り込んだイギリスだが失敗し、酸素装備の改良や登攀技術の向上による強い意気込みで1953年隊を送り出している。

エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイは1953年5月29日午前11時30分に初登頂に成功したが、このときの最終キャンプは標高8400mに張ったキャンプ7であった。
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商業登山が盛んな近年ではネパール側のキャンプは5300mのBCを出た後はC1(6000m)、C2(6500m)、C3(7300m)と上げてゆき、サウス・コルのC4(8000m)からのアタックが通常である。
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今では聞くことのなくなった極地法であるが、学生のころは採用されていたようである。
45年ぐらい前の古い話になってしまうが、冬山はキャンプの間を4~5時間行動していればよいから楽でいい、といった学生の記事が岳人に書かれていた記憶がある。

現役時代の冬山合宿で鹿島槍ヶ岳に向かったときBCは西俣出合、C1は高千穂平、冷池山荘のC2から山頂をアタックした。
今になって思えば一度だけ経験した極地法だったようである。
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by nakatuminesan | 2015-01-08 14:49 | 昔むかし | Comments(0)

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