永遠の恋人・加藤文太郎   

2014年 11月 07日

最も影響を受けた登山家は加藤文太郎(1905~1936)である。
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この歳になっても文太郎を想わない日々はなく、だから永遠の恋人だと勝手に決めている。

加藤文太郎をモデルとした新田次郎著の山岳小説「孤高の人」は有名で、山岳雑誌「山と渓谷」に掲載が始まったのは山を始めたころだった。
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文太郎が山に向かった1930年代前半といえば、高峰の冬期登山が一般的ではなかった時代である。
たったひとりで厳寒の北アルプスを駆け抜け、「不死身の加藤」の異名をとった加藤文太郎である。
なかでも昭和4年(1929)2月の槍ケ岳単独登頂は、当時の新聞を賑わせ世の岳人たちを驚かせた。
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それを真似て家の庭でビバーク練習をしたり、山は単独で登ってこそ価値があるなんて思ったりもした。

文太郎は厳冬の槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが、猛吹雪に遭い天上沢で30歳の生涯を閉じている。
当時の新聞は彼の死を「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じたそうだ。

出身地の兵庫県美方郡浜坂町(現在では新温泉町)には、彼を記念した「加藤文太郎記念図書館」がある。
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そこには文太郎が使用した装備を見ることができ、冬期単独登頂の記録が信じられないほどである。
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その思いをもっとも強くしたのは登山靴で、牛革製、長さ28.5cmと記されていた。
小柄だったことからして靴下は3~4枚を重ねて履いたのだろう。
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もう何年も前から岳人を読むことはないのだけれど、11月号の特集が加藤文太郎だというので買ってしまった。


余談になるが・・・風雪の北鎌尾根に消えた文太郎が30歳だったことは少なからず意識していた。
30歳になったばかりの年末年始は北西尾根から涸沢岳に登り、奥穂高岳からジャンダルムを越えて西穂高岳までの縦走だった。
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by nakatuminesan | 2014-11-07 13:46 | 昔むかし | Comments(0)

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