鵜殿正雄の穂高岳槍ヶ岳縦走記   

2014年 08月 12日

鵜殿正雄らによる前穂高岳から槍ヶ岳の初縦走は、今から105年前になる1909年(明治42年)8月15日から16日に成されました。

その時の記録はかなりの長文になっていて、そのなかのほんの一部を抜粋します。

一 神秘の霊峰
信飛の国界に当りて、御嶽・乗鞍・穂高・槍の四喬岳のある事は、何人も首肯する処、だが槍・穂高間には、なお一万尺以上の高峰が沢山群立している、という事を知っている者は稀である。

二 穂高岳東口道
嘉門次は、今年六十三歳だ、が三貫目余の荷物を負うて先登する様は、壮者と少しも変りはない。午前八時には前記の鞍部、高さ約二千二百六十米突、ここに、長さ十間幅四間深さ三尺ばかりの小池がある、中ほどがくびれて瓢形をなしているから、瓢箪池といおう。

三 南穂高岳
午前十一時十五分、遂に、南穂高岳「信濃、又四郎岳、嘉門次」「信濃、奥穂高岳、並木氏」「信濃、前穂高岳、徹蔵氏」一等三角点の下に攀じ、一息して晴雨計を見ると約三千米突。最高峰の南に位するゆえ、南穂高岳と命名した。

四 雲の奥岳
道はますます嶮しくなる、鋸歯状の小峰を越ゆること五つ六つ、午後二時二十分、最高峰奥穂高「信飛界、奥穂高岳、徹蔵氏」「信飛界、岳川岳、フィシャー氏」の絶巓に攀じ登った。南穂高からは半里で、およそ二時間かかる、頂の広さ十数歩、総て稜々した石塊、常念峰のような円形のものは一つもない、東隅には方二寸五分高さ二尺の測量杭がたった一本。
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五 北穂高岳
北に登る四丁で三角点の立てる一峰、標高三千七十米突、主峰の北々東だ、が北穂高岳「信飛界、空沢岳(宛字)、嘉門次」と命名しておく。

六 空沢の石窟
幸、近くには偃松、半丁余で水も得られる。かかる好都合の処はないとて、嘉与吉と二人で、その下の小石を取り除けて左右に積み、風防けとし、居を平に均す、フ氏と嘉門次は、偃松の枝を採りて火を点ける、これでどうやら宿れそうだ。槍と同形の峰が二百尺ばかりも屹立っている、小槍とでもいいたい、が穂高の所属だから、剣ヶ峰というておく。

七 東穂高岳
六時、朝食を済し、(中略)最近の鞍部目的に登る、僅か十町つい目先きのようだ、が険しくて隙取れ、一時間ばかりかかった。(中略)怪峰二、三をすぎ、八時、標高三千十四米突の一峰に攀じて腰を据える。位置は信飛の界、主峰奥岳の東北に当る、が東穂高岳と命名しよう。

八 横尾谷
今吾らのいる前後数町の間は、かつて、測量員すら逡巡して通行しなかったところ、案内者も、今回が初対面、岩角に縋り綱を手繰り、または偃松を握りなどし、辛くも、連稜の最低部についた。
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九 南岳
先ずこの右側を廻り、次に左側に向って大嶂壁の下を通り抜ける、今度は「廻れ右」して、この嶂壁の中間にある幾条かの割目を探り、岩角に咬りついて登るのだ。標高約二千九百四十米突。峰頭平凡で記すべき事はない、南岳と命名した。

十 岩石と偃松
この近辺を界して、南方の岩石は、藍色末に胡摩塩を少々振りかけたような斑点、藍灰色で堅緻だから、山稜も従って稜々して、穂高の岩石と、形質がいささかも違わぬ。槍も穂高も、最高点から二百米突以下は、ぼつぼつ偃松が生長している。

十一 中の岳
南岳と大喰岳(宛字)との間にあたるので中の岳と称えておく。

十二 大喰岳
槍に登って余裕のある人は、中途高山植物の奇品を採りながらこの峰に登るも面白かろう。大喰岳「信飛界、大喰岳、嘉門次」とは、群獣のこの附近に来て、食物をあさり喰うので、かくは名づけたのであると。途中、チョウノスケソウ、チングルマ、ツガザクラ、ジムカデ、タカネツメグサ、トウヤクリンドウ、イワオウギ、ミヤマダイコンソウ、等を見た。

十三 槍ヶ岳絶巓
 小峰を越して少し登れば大槍、これから上が最も嶮悪の処と聞いていた。が穂高の嶮とは比べものにならぬ、実に容易なもの、三時四十分、漸く海抜三千百二十米突の天上につく、不幸にもこの絶大の展望は、霧裡に奪い去られてしまった、が僅かに、銀蛇の走る如き高瀬の渓谷と、偃松で織りなされた緑の毛氈を敷ける二の俣赤ノ岳とが、見参に入る、大天井や常念が、ちょこちょこ顔を出すも、己れの低小を恥じてか、すぐ引っこむ、勿論小結以下。
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メンバーは今で言う名クライマーであったに違いはありません。
ルートファインディングに卓越したうえ足が速いだけでなく、数多くの高山植物の観察など余裕が感じられます。

おまけは今日の中津峰山。
台風のあとなので道は荒れていました。
山頂では赤とんぼがたくさん飛んでいました。
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by nakatuminesan | 2014-08-12 16:44 | 昔むかし | Comments(0)

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