ラッセル泥棒
2014年 02月 18日
コリトリから一ノ森へ向かっていた。
追分の下あたりから雪が増えラッセルが始まった。
標高を上げるにしたがい膝下から膝頭まで沈むようになる。
当時のことだからスノーシューは持っていなく、なぜ山スキーでなかったかは記憶にない。
おそらく下では雪が少なかったからだろう。
休憩中に下を見ると2人の男女がいるのに気がつき、50mほどの距離だからすぐに追いつかれるはずだ。
しかし何故か彼らも休んでいて、登りだすと一定の距離を保ち着いて来る。
ラッセルに汗を流し再び休憩すると、すぐに彼らも行動を止めるではないか。
これじゃラッセル泥棒じゃないか。
雪の一ノ森に登ろうとする者ならラッセルの苦しさは知っているはずであり、すぐ下で休んでいる光景は腹立たしいだけだった。
樹林を抜けると夏なら10分で山頂という所である。
もしここで追いついてきてトップを交替しましょうと言われても、絶対に譲らないと腹に決めていた。
しかし追いついてくる様子はなく、間隔は測ったように50mのままで乱れない。
話をしたくないと思ったので剣山へ向かい、西の鞍部から振り返ると2人の姿が一ノ森の頂にあった。
ラッセル泥棒をされたのはこの時だけでなく、まだ若いころの八ヶ岳の赤岳沢においても同じようなことがあった。
あの加藤文太郎には立山の弘法小屋での苦い経験がある。
単独行から・・・「それで兵冶君が僕にも餅を分けてくれました。
そして言うには初め自分はこういう者ですから、なにとぞよろしくお願いしますと言って挨拶すればよかったんですよ、まるで知らない人にだまってついてこられると誰だってちょっと不愉快になるのですよ―と親切に言ってくれました。
それで僕は初めて自分の不注意に気がつき、名刺を持っていなかったので手帳の紙にR・C・C加藤文太郎と書いてどうかよろしくと言って渡したのです。
(中略)
追分小屋の附近から僕が先頭になってラッセルし、福松君の言うように夏道に沿って進むうち、姥石のところで窪田氏がこっちがいいと言って自分で先頭になられました」
新田次郎著「孤高の人」から・・・「だいたい、あなたは、土田さんたちに一度だって挨拶しましたか。
挨拶もせずに、人のパーティに図図しく割りこんで、ラッセルドロボウをつづけていたら、誰だって腹を立てますよ。
もし相手が大学の山岳部だったらぶんなぐられますよ。
(中略)
加藤はラッセルの苦労は知っていた。
知っていたが、でしゃばったことをするのは悪いと思って、遠慮してあとからついていったのである。
加藤はそう弁解した」
話が大きく脱線するが、若いころ立山から槍ヶ岳までの単独スキー縦走を企てたことがある。
1回目は雪が締まっていたとはいえ、室堂まで1日半を要した。
結果は立山と別山乗越に立っただけで敗退。
弥陀ヶ原の標高1700mあたりまでは快適滑降だったが、追分小屋のあたりからはラッセルしながら下った。
翌年は雪が深く2日半かかったが、文太郎を思いながらのラッセルは辛くはなかった。
前年に続き槍ヶ岳に向かえず結果は敗退。
奥大日岳からカスミ沢を滑降した思い出がある。
by nakatuminesan | 2014-02-18 17:26 | 昔むかし | Comments(2)
雪山としても人気が高く、旅行会社がツアーを組む場合もあると聞いたことがあるぐらいだから、しっかりとトレースがあり、楽ちん雪山であろうと想像していたが、ここ数日は、人が入った形跡
もなく、積雪もかなりのものでした。腰近くまで埋もれたときは、身動きができずどうしようかと思いました。本日は、防火林帯辺りから、ずーっとラッセルして疲れました(^_^;)
国見山も霧氷が見事だったでしょう。
今日の高丸山でさえ40~50センチでしたから、さぞ国見山は深かったでしょう。
まだスノーシューでなくツボ足で頑張っているのですか~?
トレースのないほうが雪山は面白いですね!