ヒマラヤ2013 タシカンⅠ峰(6386m) 9.26~10.22NO.1
2013年 10月 23日
(TSURUCHAN TASHI-KANG 6386m EXPEDITION 2013)
目標の山・ルート タシカンⅠ峰(6386m)の南面ルートからの登頂
隊の構成 隊員 1名
サーダー 1名
クライミング・シェルパ 1名
コック 1名
キッチン2名
ポーター4名
ヒマラヤには8000m峰と未踏峰に加え、手垢の付いていない6000m峰という三つの目標があった。
初めての8000m峰であるチョー・オユーは2008年に計画した。
カトマンズ入りすると中国ビザが発行されないことが分かり、多くの隊と同じようにマナスルに転進したが、悪天候による降雪によりC2(6400m)で敗退した。
その後トレッキングの機会は二度あったが登山をしたいという思いが強まり、2005年秋のツクチェ・ピークから付き合いがあるエージェントと連絡を取り合うようになった。
タシカンの概要
タシカンはダウラギリ山群の北東端に位置し、ダウラギリⅠ峰の北東22km、カリ・ガンダキ沿いの村ジョムソンの北西12kmにある。
西面はリカ・サンバ(ヒドン・バレー)に面し、三つのピークを有する。
東の最高峰であるⅠ峰から西へ順にⅡ峰、Ⅲ峰と並び、高度はどちらも6157mであり、Ⅰ峰とⅢ峰の距離は約1.5kmである。
山名はチベット語でタシは「幸運」、カンは「雪山」の意味である。
タシカン峰はネパール登山協会(NMA)の管轄でなく6500m以下にも拘らず政府登山局から登山許可を取る必要がある。
そして登山手数料$200の支払いと、環境保護協力のデポジットとして$500を別途納めることが求められる。
これは不燃物を持ち帰り、登山終了後の手続きで戻ってくる。
タシカンの登山史
1974年春、西ドイツのトレッキング隊(G.ハウザー隊長)がリカ・サンバ(ヒドン・バレー)に入り、1ヶ月の滞在中に10峰の山頂に立ち、4月28日にタシカンⅢ峰に初登頂した。
2002年8月14日に東京都勤労者山岳連盟所属のグループ 4人がタシカンI峰に初登頂し、また3人がタシカンⅢ峰に登頂した。
2010年秋には九州大学山岳会がタシカンⅡ峰に登頂している。
タシカンI峰の東側にはタサルツェ(6343m)、北にタシカン北峰(6405m)があり2011年現在共に未登とされている。
しかしエージェントに調査を依頼したところ、すでにヨーロッパ人が登っているとの報告があった。
タシカンI峰は2009年秋の登頂が第5登との情報を得た。
目標とする手垢の付いていない6000m峰であり、天候が味方してくれたなら登れそうな山だと思った。
アプローチ
登山口となるマルファの隣村ジョムソンへはポカラから飛行機がある。
しかし悪天候によるフライトの欠航と近年の道路事情から、カトマンズからバスと四駆による陸路とした。
装備
個人装備は日本から持っていく。
エージェントが準備する主な装備
①キッチンテント
②個人テント
③メインロープ(9mm×40m)1本
④フィックスロープ(8mm)600m
⑤スノーバー(60cm)12本
⑥アイススクリュー6本
⑦酸素(ロシア製3L、300気圧、900Lシリンダー)1本 (緊急医療用)
食料
登山中の食事はコックが料理する。
日本からは梅干、海苔の佃煮、乾燥ワカメ、アルファ米、レトルトカレー、レトルト牛丼、チキンラーメン、スープなどを用意した。
NO.1(徳島~カトマンズ~BC)
9月26日(木)徳島駅18:50⇒⇒21:25関空
関空行きのバスを待っているとM氏が見送りに来てくれた。
いよいよ行くのだと嬉しい反面で、すこしプレッシャーを感じてしまう。
9月27日(金)
関空〔TG673〕0:30⇒⇒4:20バンコク〔TG319〕10:15⇒⇒12:25カトマンズ・トリブバン空港13:30⇒⇒14:00インターナショナル・ゲストハウス
毎度のタイ航空でカトマンズに到着。
ビザの取得に時間がかかり、4月のトロンパスから5ヶ月ぶりに会うダワが心配そうな顔で迎えてくれた。
また今回のサーダーであるカミとは5年前のマナスル以来である。
宿はブーゲンビリアが咲くインターナショナル・ゲストハウスで、初めて中庭が見える2階の部屋だ。
さっそく政府観光省(登山局)へ出向く。
担当者からブリーフィングを受けるのだが、顔を見せて登山計画書にサインをするだけのことだった。
夜は日本料理店「桃太郎」でカトマンズ入りを祝い、塩で焼いた焼き鳥とカツ丼。
9月28日(土)KTM滞在
朝食はいつもアメリカン・セット
町に出て2万円をルピーに両替すると19660円。
4月は1ルピー≒1.2円だったが今は≒1円だ。
ストック(1400ルピー)と忘れたテルモス(2800ルピー)を買う。
マーケットにはスーパードライ(215ルピー)が並んでいる。
ちなみにTUBORGは145ルピー。
3年前に泊まったホテル・ノルブリンカや、いつも入る1階がケーキ屋の喫茶店を散歩した。
夜はキツネうどんを注文したが麺がまずいので後悔した。
9月29日(日)
KTM8:00⇒⇒12:10ランチ12:50⇒⇒14:00ポカラ⇒⇒16:50ベニ(ホテル・ムスタン)
今日はバスでポカラを経由してベニへ向かう。
トロンパスのときのポーターであるアルジュンが今回も加わっている。
コックのスッバの一言「楽しい山登りにしましょう」が嬉しかった。
5ヶ月前に走った道なので記憶は新しく、どれも見覚えのある風景だがまだ緑の田んぼが鮮やかだ。
昼食のとき若いスタッフたちがこちらを窺っている。
A・・・こんどの客いくつだと思う?
B・・・若くはないよな。
A・・・63歳だってよ。
B・・・オレのオヤジよりだいぶ年寄りだ。トレッキングにしときゃいいのに山登りか~。
A・・・家にいられないのかな。せいぜい助けてやろうぜ。
こんな会話かなと想像してしまうのであった。
何十年も前のカローラはまだ現役・・・ゴリラも現役!
ベニではホテルとは名ばかりの安宿で、他の宿泊者がうるさいし早くマルファへ着きたかった。
しかしベニは人の行き来や交通の要所らしく、車はたくさん停まっているし活気がある。
夜はダルバートを注文すると味はよかった
9月30日(月)
ベニ7:30⇒⇒9:00バティ9:25⇒⇒10:00タトパニ⇒⇒10:45ランチ11:15⇒⇒12:15ガーサ⇒⇒15:00マルファ(ホテル・サンライズ)
屋根に荷物を満載してバスはマルファへ向かう
途中のバッティでお茶や昼食
5ヶ月前に通ったばかりなので悪路は知っていたが、特にガーサの手前が悪路中の悪路。
前方からやってくる羊の群れは、もうすぐ始まるネパールの祭りダサインで食べられてしまう。
カリガンダキ川が渓谷から広い川原に変わり、荒涼としたチベット風の景色になるとマルファに到着する。
白壁が美しいマルファの宿はホテル・サンライズ
今夜からコックが料理するというので、さっそくチキンと野菜炒めのアテを頼む。
マルファ名産のアップルブランデー
10月1日(火)曇り時々晴れ マルファ滞在
明日からの登山を前に今日は休養日。
街中で映画が撮影されていた
ツクチェからマルファにかけてはリンゴ園が多く、乾しリンゴもこの村の特産品である。
食堂はサンルーム風になっていて、昼間は晴れていると明るくて暖かい。
夕方にはトロンパスを越えてきたスペインの15名が到着する。
私たちが越えた4月19日は快晴だったが、彼らは山を見ることなく歩いたことだろう。
食べることばかりで恐縮だが、今夜はカツ丼&とうふ入り味噌汁。
10月2日(水)曇り時々晴れ
マルファ9:20・・・11:55カルカ(3440m)・・・15:35ヤク・カルカ(4130m)
朝食を済ませて外に出ると隣村ジョムソンからロバ使いが5頭のロバを連れてきた。
サーダー、クライミング・シェルパ、コック、キッチン2名、ポーター4名に私の10名の小さな登山隊だ。
ロバ使いを加えた11名とロバ5頭でタシカンBCに向かって出発。
乗鞍岳から9日ぶりとなり、やはり山を歩くのはいいと思った。
コックが作ったランチパックを食べていると、上空を何百羽ものカランクルンが飛んでいる。
アネハヅルという小さなツルで、越冬のため寒い中央アジアやモンゴルから、温暖な南のインドやアフリカに渡っていくのだ。
鳴き声から「カランクルン」と呼ばれているもので、ヒマラヤ7回目にして初めて目にする光景だった。
今シーズンは山が見えない天候続きだが、これでモンスーンが明けるのではと期待した。
そして登山初日のラッキーな光景に、今回の登山がうまくいくような気がした。
やがて尾根に乗るとジョムソンの村が望めるが、ムクティナート方面は雲に覆われている。
樹林が少なくなるとリンドウを目にするようになり、なぜかこの花が気に入っている。
雲底は4200mあたりだろうか
紅葉は日本のようにきれいではないが、色づきが始まっているようだ。
そのうち富士山の高度を超え、2005年秋のツクチェ・ピークでキャンプした場所を通過する。
水が悪いとの理由でさらに高度を上げ、4130mのヤク・カルカが今日のテントサイトである。
ニルギリ・ノース(7061m)が雲の切れ間から山頂を見せている
しっかりした石造りの小屋があり、肝心の水はすぐ横を流れている。
4月のトロンパスの貯金があるので高度に対する心配はないだろが、いっきに1450mも登ったのは初めてのことだ。
夕食の1時間前になるとテントにビールが運ばれる。
宅配ならぬテント配であり、カトマンズで買った25缶の1缶目だ。
よほど酒が好きと思われようが勝手であり、1時間かけて舐めるように飲むから心配無用。
10月3日(木)曇り時々晴れ
ヤク・カルカ滞在 テントサイト13:00・・・14:20(4500m)14:30・・・15:00テントサイト
高度順応のため4500mまで往復する。
一人で大丈夫だと言ったが、クライミング・シェルパのラクパが付き合ってくれる。
おまけにテルモスしか入っていないザックも持ってくれた。
登るにつれガスとなり、4400mあたりから手袋に霧氷がつくようになる。
今日もムクティナート方面は雲に覆われている
4400mを超えるとセーター植物を見るようになり、人がセーターを着込んで寒さから身を護るのと同じように植物体が柔らかい綿毛で被われている。
テントに帰るとニルギリが姿を現したが、すっきり晴れない天気が続いている。
10月4日(金)曇り時々雪
ヤク・カルカ9:15・・・10:45尾根4600m・・・12:00尾根4800m・・・12:50ランチ13:20・・・15:05ダンパスBC(4920m)
ポーターたちと一緒に出発する
4800m付近で尾根を外れ、ダンパス・ピーク(6012m)の南面のトラバースになると雪が現れる。
晴れていれば左方向にツクチェ・ピーク(6920m)やダウラギリ(8167m)の展望がすばらしいのだが、視界のない長くて単調な道が続いている。
キャンプ地は2005年にも使った場所であり、周囲の地形は記憶に残っていた。
10月5日(土)曇り時々晴れ
ダンパスBC 8:50・・・10:50ダンパス・パス(5244m)・・・12:00ヒドン・バレー(4920m)
今日こそはと期待したツクチェ・ピークは山頂を隠している
前方はリトルツクチェ・ピーク(5882m)
小さな尾根を右に回りこむと高度は5000mを超え、前方にはダンパス・パスが見えてくる。
表現のしようがないほど広々としたダンパス・パス
フレンチ・パス(5360m)方面
少し標高を下げると雪は消え、ヒドン・バレーを下っていく。
雪をつけたピークがタシカンⅢ峰で、その右奥にあるタシカンⅠ峰は雲に隠れている。
荒涼とした谷に咲く花
ダンパス・ピークの北西に位置するテントサイトからは山頂を望める
コックのスッバ(62)とラクパ(23)
すし飯&餃子&味噌汁
10月6日(日)曇り時々晴れ
ヒドン・バレー8:20・・・10:00モレーン末端(4850m)・・・14:05タシカンBC(5500m)
うっすら積もった新雪を踏みしめながらBCへ向かう。
ヒドン・バレーの広い川原を離れたあとは、氷河が押し出したモレーンの末端から高度を上げていく。
トレースはおろかケルンもない
雪化粧したフレンチ・パス
タシカンⅢ峰の右奥はⅡ峰
前方は5867mピーク
Ⅱ峰が全容を現す
BCに到着する
地図では谷の中に池があり、その付近をBCにと考えていた。
サーダーのカミに聞くと、そこは水が得られないとのことだ。
とにかくBC入りができたことで一安心だ。
NO.2(BC~登頂その1)
10月7日(月)快晴 BC滞在
快晴で明けた。
ツクチェ・ピークとダウラギリⅠ峰に朝日が当たりだす。
そしてダウラギリⅡ峰(7751m)やホンデ・ヒマール(6556m)が黄金に輝く。
このような快晴は初めてのことでモンスーンが終わったのだろうか。
しばらく晴れの日が続きそうで、この好天を登頂につなげたいと思う。
BCはタシカンⅡ峰から南西に延びる尾根の末端に位置し、北にはⅢ峰が望め西にはモレーンが小山のようにある。
小さなタルチョーが張られている
5500mという高さのBCは初めてである。
酸素量が下界の半分になるエベレストのネパール側BC(5300m)より高く、ゆっくり歩かなければ息切れする。
メンバー紹介
左からカミ(29)サーダー、カミ(20)キッチン、ニマ(36)ポーター、ラクパ(23)クライミング・シェルパ、ディパ(23)ポーター、パサン(18)キッチン、アルジュン(22)ポーター、スッバ(62)コック、ゴリラ
サーダーのカミ・シェルパとは2005年秋のツクチェ・ピークと2008年秋のマナスルで行動を共にした。
エベレスト7回のほかマカルーやローツェの登頂歴があり、高所に強くクライミングセンスがある。
この数年で日本語が上手になったハンサムな青年である。
クライミング・シェルパのラクパとは初めてだが、2005年秋のツクチェ・ピークで一緒に登頂したギャルツェンの息子である。
19歳のときマカルーに登頂しており、日本語が上手でよく気がつく若者である。
コックのスッバは日本に6年間いたことがあり、日本食を得意としていて人懐っこい。
ポーターのアルジュンは4月のトロンパスでも一緒だった。
すこ~し櫻井翔に似ているかも。
キッチンのパサンは4月のトロンパスのシェルパ・テンジンの息子で今回の最年少。
ポーターの一人は頭痛がひどく、ロバ使いと共に早朝マルファへ降りた。
9時15分、カミとラクパは上部ルートの偵察に向かう。
Ⅰ峰はⅡ峰の向こう側で見えないのが残念だが、とにかく展望抜群のBCである。
東にはアンナプルナ山群が連なり、Ⅱ峰やティリチョピークが聳えている。
登頂に備えて装備の点検をする
15時45分、カミとラクパが帰ってくる。
5800m付近にC1を決めてきたと言うが、位置の様子を聞くとどうも変だが信じるしかない。
明後日の登頂に向けて明日はC1に上がることになった。
夜はお茶漬け
外に出るとシタチュチュラ(6611m)の上に三日月があり、日本を出て12日目だというのに感傷的になってしまった。
10月8日(火)快晴
BC10:45・・・13:15C1予定地(5800m)16:20・・・17:20BC
C1に向けて出発する。
Ⅱ峰から南西に延びる尾根のトラバースが終わると谷が開け、氷河の奥にタサルツェの山頂が見える。
ラクパとキッチンの2人が先行し、足元の不安定なガレをカミと一緒にゆっくり登る。
マナスル方面
ニルギリ(右奥)
ダウラギリⅠ峰(右)
展望が開けるのはいいのだが、想像していたルートと大きく違う。
カミに聞くと間違いないとの答えが返ってくる。
5700mまで登るとタシカンⅠ峰の東に広がるプラトーがよく見える。
さらに小さなリッジを越えるとⅠ峰の山頂を確認できる。
すぐ上ではテントを張ろうとしている。
ここまで登ると不信感はさらに高まった。
カミに問う。
「これはⅡ峰に向かっているが、どういうことだ。」
「このルートでⅡ峰に登ったことはありますがⅠ峰は登ったことがありません。ルートは知りません。」
「私はⅡ峰を登りにきたんじゃない。Ⅰ峰を登ることが目標だ。」
タシカンが初めてのラクパは何も知らない。
そうだ、Ⅱ峰を越えてⅠ峰に登頂する手も悪くないぞ。
そうすれば2座登頂だ。
「今からラクパとⅡ峰に登ってくれ。Ⅰ峰へ続く稜線の様子を確認しろ。」
まだ13時なんだから時間はある。
2人なら2時間でⅡ峰に立てると私は考えた。
登攀装備を身につけた2人を目で追った。
Ⅱ峰は目の前にある。
リッジの向こうに消えた2人が姿を現したのは2時間後だった。
まだ高度で150mしか登っていない。
ここからⅠ峰の往復は無理だと分かり、声の届く距離だったので下山を指示した。
by nakatuminesan | 2013-10-23 19:22 | ヒマラヤ | Comments(2)
今回の登山は、ゴリラの思いと力強さが迫ってきます。
トレッキングと違って登山はやっぱり厳しいなぁ!