槍ヶ岳北鎌尾根   

2013年 08月 17日

多くの登山道がある槍ヶ岳だが、山頂へは肩からが一般ルートである。
その天を突く頂に登りきるのが北鎌尾根であり、バリエーションルートとして知られている。
北鎌尾根が有名な理由には加藤文太郎や松濤明の遭難死があり、「単独行」や「風雪のビバーク」はいまなお読まれ続けられる名作。

16歳で文太郎の影響を大きく受け、高校時代には単独で山を歩くことが多かった。
初めての北アルプスは18歳の春、単独で槍ヶ岳へ向かった。
その理由は古い岳人たちが情熱を燃やした北鎌尾根を見たかったからだが、雪の北鎌尾根は難しそうに映らなかった。

厳冬の北鎌尾根から西穂高岳までの単独縦走を決めたのは、自信を感じ始めた大学山岳部3年生のときだった。
北鎌だけではなく西穂までの単独縦走でなければ意味がなかった。

好天に恵まれた先日の北鎌が7度目となり、今は昔のことが懐かしく思い出されている。
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①・・・1970年11月、鹿島槍ヶ岳東尾根~白馬岳の冬山合宿荷揚げ偵察山行があった。
下山後大町で食料と燃料を買出し、岳友たちと5名で初めての北鎌尾根へ。
11月中旬にもなれば雪はあったが、槍を越えて5日目には西穂高岳に着いていた。

②・・・1971年5月、残雪の状態把握と偵察に単独で入山。

③・・・1971年11月、最終の偵察と荷揚げで入山。
P2と独標に一斗缶に入れた1週間分ずつの食料や燃料をデポ。
北岳バットレスなどでザイルを組んだ友人が同行してくれた。
いったん松本へ出て友と別れ、再び槍の冬期小屋と奥穂の冬期小屋に一斗缶を荷揚げデポ。
1週間吹雪かれても冬期小屋や雪洞で耐えられると確信し、敗退した場合も再度入山が可能と考えた。
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④・・・1971年12月、22歳になったばかりの若者だった。
天候が味方してくれ北鎌は1日半で登りきり、西穂まで無事にトレースでき念願が達成できた。
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⑤・・・1981年12月、友人と2人で10年ぶりの北鎌へ。
よく山スキーを共にした男だったが若くしてガンに倒れた。
これまでの5回は湯俣がアプローチだったし、ルートは末端のP2からであった。

⑥・・・2007年8月、60代女性2名と女性を含む若者3名の6名で。
26年ぶりの北鎌は初めての夏山で、貧乏沢を下って北鎌沢右俣を登った。
その後若者2名は考えられないような場所で命を落としている。

つい先日の北鎌尾根は追悼の祈りを込めた山行きでもあった。

3月か4月の雪の多い時期に登る機会がなかったことが残念でならない。

60歳で厳冬期を考えたこともあったが、単独による自信もなくパートナーもなかった。

夏なら70歳でも単独で向かうことが出来るだろうかと考えたりしている。

by nakatuminesan | 2013-08-17 14:20 | 日本の山 | Comments(2)

Commented by あつもり at 2013-08-25 06:25 x
こんにちは。
信州のあつもりです。

やっぱりすごい方なんですね。
北鎌への想い、改めて唸るばかりです。
追悼山行などとはつゆ知らず、後塵を汚して申し訳ありませんでした。(さぞ煩わしかったことと思います)
北鎌の後は、「もうしばらくは、ガッツリ系はいいや」などと考えましたが、3日もすると次の計画を考え始めていました。
9月にも単独で北鎌挑戦しようと考えましたが、来年になりそうです。

清々しい山行、手本とさせていただきます!
Commented by nakatuminesan at 2013-08-25 16:20
あつもりさん、こんにちは。

みなさんと前後しながらの北鎌はよい思い出になります。
もう雪の北鎌はあきらめた年寄りですが、夏ならもう一度ぐらい行ってみたいと思っています。
一度はぜひ単独で向かってください。
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