厳冬の乗鞍越え
2012年 11月 26日
もちろん山スキーの板や靴、そしてシールなどが傷んでいないかもチェック。
信州方面ですから何日間かの山行となり、単独ということもあり真剣でした。
槍穂高や後立山はよく登った山域ですが、乗鞍岳も山スキーで何度も通ったものでした。
その理由は何故かといえば山スキーに適しているだけでなく、私が生まれる20年も前にあの加藤文太郎が登っているからでした。
信州側の乗鞍高原スキー場からは何度も登っていたので、奥飛騨側の平湯へ滑り降りる計画で入山したことがあります。
その理由も簡単で昭和10年の12月末、文太郎たちが北鎌尾根をやる前に信州側から乗鞍岳を越えているから。
1980年12月末、位ヶ原でのツェルトビバークは慣れたもので、視界がなくてもダケカンバの位置を覚えているほどでした。
翌日は山頂に立ったあと、摩利支天岳を越えて一気に平湯まで滑って降りる予定。
雪原広がる桔梗ヶ原が楽しみでいられない。
ところが天候悪く風雪で明け、肩ノ小屋を目指すも視界はない。
山頂をあきらめ富士見岳の東面を巻くも、大黒岳との鞍部で西からの風に行動不能となる。
位ヶ原山荘に向けて滑降を開始すると、雪は乾燥していて滑りは快適だ。
小さな雪崩に巻かれたりしながらも無事山荘に滑り込む。
完全に敗退だった。
その翌年は10年ぶりの北鎌尾根を単独ではなく岳友と。
乗鞍越えをあきらめられず再び1982年末入山。
どうしたことかまたしても吹雪に追い返され敗退。
純白の美しさに魅せられて通った乗鞍岳です。
そういった山はやらなくなりましたが、積雪量が気になる頃となりました。
by nakatuminesan | 2012-11-26 13:42 | 昔むかし | Comments(2)
ボクにも山の想い出があることを、思い出させてくれました。
日本の山山がとても遠くになりました。山どころか、日本の国もはるかかなたになりました。
国をでてから、もう40年ですものね。
また、訪ねます。