ヒマラヤ登山とシェルパ
2011年 04月 22日
シェルパ族はネパールに移動したチベット族であり、ヒマラヤの3000mから4000mの高地に定着し、酪農や農業を営み、チベットとの交易を業としていた。
やがて遠征を繰り返す英国人が高地人夫として、自分たちの都合のよいように永い年月をかけて教育した。
昔の遠征隊は英国貴族的に主従関係のけじめをはっきりし、シェルパに対しては厳しい使い方をした。
今ではそういったことはなく、特に日本人などは顔や皮膚が似ていることから親近感を持って接することができる。
シェルパといえば必ず登場する地名に「ナムチェ・バザール」がある。
シェルパの故郷ともいわれるクーンブ地方の村、ナムチェ・バザールは標高3440mにあり、古くからエベレストをはじめ登山の拠点の村で知られる。
昭和40年のナムチェ・バザール
現在のナムチェ・バザール
昔の遠征隊はカトマンズから二週間余りのキャラバンの末に到着し、カトマンズのポーターをこの地方出身の高所用ポーターと交替させた。
現在ではルクラまで小型飛行機で飛び、二日目にはナムチェ・バザールに着く。
シャンボチェまで飛べば、その日のうちに着くことさえ可能である。
すり鉢状の地形をしたナムチェ・バザールは、6000m級のコンデリ、タムセルクと登山禁止のクーン・ビラに囲まれている。
村は斜面にあるため展望はよくないが、裏山の丘に出ると突然展望が開け、エベレストやアマダブラムなどが望まれる。
それにしても村の変わりようには驚くことが多く、メインストリートの両側にはロッジ、土産物店、喫茶店などが並ぶ。
世界各国のトレッカーが訪れるのだから、国際電話もかけられヒマラヤの奥地にいる感覚はなくなる。
遠く国境を越えてやってくるチベット商人によるバザールは毎週土曜日に開かれている。
シェルパやコックにはロッジを経営している者も多く、知る限りでは経済的にも裕福そうである。
ナムチェ・バザールに限らないが、標高の高い土地では冬は雪が積もりトレッカーも減少するので、カトマンズに滞在するシェルパたちは多い。
by nakatuminesan | 2011-04-22 11:49 | ヒマラヤ | Comments(0)