薬師岳2926m
2011年 04月 01日
北アルプスのなかでも、有数の気品ある大きな山容をしている。
昔は越中で「立山」というと、北の毛勝三山から南の薬師岳辺りまでを指したそうだ。
名から分かるように立山などと同じく、薬師岳も古くから山岳信仰の対象とされ、明治以前は女人禁制とされていた。
和田川上流の隠れ里で、平家落人伝説のある有峰の人々が、薬師如来の山として山頂に祠を建て、毎年6月15日の祭りには登拝して剣を奉納していた。
赤錆びた剣型の板金は昭和30年ごろまで祠に見られたという。
薬師岳で思い浮かぶのは、やはりカールの存在と大量遭難ではないだろうか。
薬師岳の地理的特徴の最たるものは、氷河地形として残る3つのカールだ。
南北に長い尾根を擁する山頂付近の東側には、北から金作谷カール、中央カール、南稜カールがあり、「薬師岳の圏谷群」として国の特別天然記念物に指定されている。
金作谷カールと薬師岳山頂 左遠くに槍穂高連峰が見える。
1963年(昭和38)1月、愛知大学山岳部13人パーティーの大量遭難が起きた。
1月2日、吹雪の山頂を目前にして登頂を断念し、標高2890m地点から南西に進むべきを南東尾根に迷い込み、13人全員が遭難死した。
地図とコンパスを携行している者は誰一人いなかった。
1963年といえば大学山岳部の活動が盛んだったころであり、大きな社会問題になったことはよく知られる。
中央左が薬師岳 右に延びる長い尾根が南東尾根。
なぜか薬師岳には一度しか登ったことがなく、それは剣岳から穂高岳へ縦走した大学1年夏のことだった。
若いときに計画した立山から槍ヶ岳への単独スキー縦走で、雪の薬師岳に立つ思惑は2年連続の敗退で実現していない。
あの加藤文太郎が烏帽子岳への単独縦走のとき、厳冬の薬師岳に立ったのは1931年(昭和6)1月3日のことである。
立山雄山から見た薬師岳。
by nakatuminesan | 2011-04-01 18:05 | 日本の山 | Comments(0)