若さゆえの山   

2010年 12月 22日

長年にわたり山を登ってきたのだから、あの時は遭難していたかもとか、一歩誤れば死んでいたということはある。
本格的冬山は新人だった大学1年のときの話。

南アルプスの冬山合宿を終えたその足で、仲間と二人で中央アルプスへ向かった。
止められるのは分かっているから先輩には内緒だった。
無謀にも冬型の天気が強まりつつある風雪の千畳敷カールにツェルトを張った。

木曽駒ケ岳と宝剣岳に登った次は八ヶ岳縦走だった。
茅野で買出しをした。
コンロはホワイトガソリン使用の重い「ホエーブス625」を2個、食料はキャベツや生米など、軽量化などはまったく考えなかった。

凍結した道路を渋ノ湯へ向かうバスの乗客は我々だけだった。
記憶があいまいだが、渋ノ湯では無人小屋のような所に潜り込んだ。
近くの無料の風呂に入ったあと、無人小屋まで帰る数分でタオルが棒のように凍るほど寒かった。

翌日は中山峠から天狗岳を経て硫黄岳を越える。
天狗岳から山の様子は一変した。
とにかく風が猛烈に強く視界はなかった。
硫黄岳では小石が横に飛ぶのを見た。
立っていられなくなると、風が息をする時を狙って這って進んだ。
現在の硫黄岳山荘のあたりだろうか、氷の鎧のようになった小屋にたどりついた。

天気図を書くと等圧線が縦にびっしりの猛烈な冬型気圧配置となっている。
ラジオは15パーティー・81名が猛吹雪で山頂に閉じ込められたと報じており、今でも記録に残る「昭和44年・剣岳の大量遭難」だった。
明日は横岳と赤岳を越えなければならないが、食料と燃料は売るほどあるから二人とも明るかった。
あまりの寒さに靴のままシュラフに入るが、それでも足が温まることはない。

続く翌日もマイナス25度の寒気の中を横岳と赤岳を越えた。
休憩時はツェルトを被らなければ耐えられない。
目出帽は凍った鼻水でカチカチとなり、手足の指の感覚はなく、顔面には凍傷を負った。
半端でない風と寒気に冬山の厳しさを実感させられ山と闘った。

ガスの切れ間からキレット小屋を見つけたときは嬉しかった。
“俺たちだけで誰にも会わなかったなあ、こんな天気に山に入る奴なんかいないよな” と興奮で眠れず、盛大に薪を燃やして朝まで過ごした。

権現岳を越える最終日も風は衰えず、八ヶ岳はガスに姿を隠したままだった。
延々と続く編笠山の裾野は長く、日が暮れた小淵沢駅に下山した。

晴れた日の横岳
若さゆえの山_c0219866_11204183.jpg

by nakatuminesan | 2010-12-22 11:23 | 昔むかし | Comments(0)

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