佐瀬 稔著「ヒマラヤを駆け抜けた男」   

2010年 04月 12日

1997年6月発行(中公文庫)
8000メートル峰に12回登頂の快記録をうち立てた山田昇の青春を描いている。
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山田は1950年2月生まれだから私と2ヶ月しか違わない。
群馬県沼田市出身で高校生のとき山を始めている。
一時期はあの有名だった山学同志会に入会するが沼田山岳会の会員だった。
本書には吉尾弘、小暮勝義、古川純一など一時代を築いた名クライマーも登場する。

山田は1975年カラコルムのラトックでヒマラヤに開眼する。
1978年ダウラギリⅠ峰に南東稜から登頂するが4名が犠牲になった。
山田は猛然とヒマラヤに通い続ける。
1985年には夏にK2(南東稜)、秋はエベレスト(東南稜)、冬にはマナスル(ノーマルルート)とすべて無酸素登頂。
1980年から1988年までヒマラヤに行かない年はなかった。
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結婚はしたが長くは続かなかった。
群馬岳連はまさに「極道たちの家」だった。
1987年までに14座ある8000メートル峰に7座登頂していた。
14座に成功したのは当時イタリアのメスナーとポーランドのククチカしかいなかった。
オルガナイザー八木原圀明は14座登頂を薦め山田もその気になる。
1988年10月24日にシシャパンマに登頂。
その直後の11月6日にはチョーオユーの頂に立ったことで残るは5座となる。
1988年5月5日チョモランマ・サガルマータ交差縦走隊により登頂。
エベレストはこれで3度目となる。

チョモランマ・サガルマータ交差縦走に成功。山頂での山田。
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その後マッキンリー、モンブラン、アコンカグア、キリマンジャロと135日間で世界5大陸最高峰に登頂する。
この記事は“スーパークライマー・山田昇”と「岳人」が大きく取り上げたので記憶している。
アコンカグアから下山した山田(左)
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1989年2月小松幸三、三枝照雄と3人でマッキンリーにて遭難死した。
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なぜヒマラヤの高峰は人を惹きつけて止まないのだろうか。

by nakatuminesan | 2010-04-12 14:19 | | Comments(0)

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